『ハッピーフィート2 踊るペンギンレスキュー隊』

観るよね、1をみたら、2も…。

ハッピー フィート2 踊るペンギンレスキュー隊 [DVD]

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面白かったです。地球規模の危機をダンスで解決するというすごい話でした。生きとし生けるものたちの壮大なる祈りの物語。
なんというか、登場人物がとてもまっすぐなのが、ジョージ・ミラー監督の映画はいいなと感じます。子供むけのアニメだからともいえますが、マッドマックスを観た限りでは、彼はキャラクターにシンプルな特徴を与えるのが好きなんじゃないかなと。
スヴェンというトリックスターにしろ、一貫して小賢しいですし、かといって、彼は悪人(鳥)ではない。キャラクター同士の役割ではなく、関係性で物語を作っていくところが、ジョージ・ミラーらしいのかもしれません。
伝説好き、神話好き、なんでしょうし、地球・宇宙規模の変異が物語りに与える影響のようなところまで描いていくところは、個人的にはすごく好みです。
誰かがよかった、誰に感情移入した、ということよりも、物語が終わったときに、今の状況を肯定的に捉えられるようになるという意味では、物語そのものの力をすごく信じている人なのかなと思いますし、だとしたらもう、物語というよりも、メッセージと言ってしまってもいいかもしれません。観終わった後に、「ああ、いい映画だったな」と思う、面白かったな、と思う、それで少し元気がでる、そういう類のお話。
ともあれ、親子で見ると、ますます仲良くなれる一作かなって思います。お試しあれ。

『ハッピー・フィート』失われた声と新たな言語について

ジョージ・ミラーがただの動物ミュージカルを撮るわけがないって思ったんだよ…わかってたはずだったのにあいつときたら!予想の斜め上!


悔しいけど面白かったです。歌で互いに通じ合う文化をもっていた皇帝ペンギンたちの中に、歌えない、でも踊ることのできるマンブルが誕生。仲間はずれにされながら仲間のために踊り続ける彼が見たものとは…といった筋。
古きよき歌の文化を育む皇帝ペンギンたちにとって、マンブルは異端児なんです。踊ることしかできないから。皇帝ペンギンたちは、踊ることで相手をひきつける文化なんて知らないから。彼はなんとか自分が生きられる場所を見つけようとする。ベイブが、さまざまな動物たちと言葉でコミュニケートしたように、マンブルは、ダンスでコミュニケートする。
でも、やっぱり皇帝ペンギン界には居場所をもらえない。彼は、どうしたってそれまでの、歌をベースに心を通わせる皇帝ペンギンのルールには乗れない。結局中盤で、マンブルはコミュニティを去るしかない。
マンブルは絶望します。絶望して、やけになった挙句、人間界へたどり着く。人間界には、もちろん言葉は通じないし、歌うことのできないマンブルには、歌を披露することもできない。水族館で見世物になりながら、次第にマンブルは声を失い、心を失っていきます。抜け殻のようになったマンブルに届いたのは、女の子がガラスを叩くコツコツというリズム。
彼は不意に思い出す。彼にとって唯一の言語はダンスだったと。自分の脚が刻むリズムが、唯一自分の気持ちを伝える手段だったということを。
というわけで、マンブルはダンスによって皇帝ペンギン界の危機を救い、新たな文化を根付かせて、自分自身の居場所を見つけることができたわけですが。
高度に発達したコミュニケーション手段が、あるコミュニティの外へはまったく伝わらないものになるという話のようであり、行動したものだけが生き残るという話のようでもあり。あるいは言語そのものが、すでに失われた声となりつつあるのかもしれないと思ってしまったりも。(感情や感覚が旺盛に語られる昨今にあっては、物語はすでに、過去の遺物のような扱いです)ダンス、という非言語的コミュニケーションが、ある意味、種族を超えたコミュニケーション(の幻想)を結実させる本作は、根本的に誤解と偶然で成り立っていて、それが今回はたまたま好意的に受け入れられたけれど、もしかしたら悲劇になっていたかもしれないと思うと、単なるハッピーな話でもないなと感じます
とはいえ感動とは感情のうねりであり、感情はずいぶん長い間力強い物語によってかき立てられてきたのだと思うと、やはりシンプルな物語こそ、感情を動かす力を持っている、と言いたくなるのですが。
いや、でも、ペンギンのミュージカル映画ですから、基本は。ただ、想いの表現とは、ただ言葉によるものでもなく、ただ身振りによるものでもなく、なんらかの行動自体が引き起こされてこそ、存在するということをこれほど鮮やかに描いた映画はそうそうないような気もします。ジョージ・ミラー監督はそういうの、好きなんでしょうね。
ペンギンがかわいいですし、往年の名曲などもあちこちにちりばめられており、ふつうに面白い映画ですので、ご家族でも、カップルでも、おひとりでも、みなさまにおすすめできます。

『ベイブ』『ベイブ都会へ行く』

ジョージ・ミラーが絡んでるということで。
あと豚が好きなので。

ベイブ 都会へ行く [DVD]

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大変面白かったです!
さすがジョージ・ミラー
子豚の映画にまでアクション要素を入れられるのは彼だけではないのか。
一作目は高度なコミュニケーション能力で過酷な環境を生き抜いていく様子を描いた農場サスペンスかつ成長物語であり、二作目にいたってはホラーアクション要素まで盛り込まれた冒険譚、で完璧なエンターテイメント。
そしてやっぱり、なによりベイブという子豚自身のかわいらしさははずせないっていうか、あの子豚がこんなにすごいことをできるんだぜっていう、驚きの要素はこの映画にとってとても大事な部分かなって思いましたし、とりあえず子豚がかわいいので全部許せる。
困難に直面してもめげないし、なんとか生きようとするし、自分の信念に正直だし、そういうひたむきさのようなものが、ベイブをかわいいだけじゃなく、愛される存在に引き立ててたなって感じます。一生懸命で正直な人って、助けてあげたくなりますもんね。
力の弱いものが、大きな力をもつものに(あるいは得体の知れない世界に)挑んでいく、そういうお話は勇気づけられるものだけど、このベイブは、それをキャラクターの愛らしさと、殺伐とした世界観とのギャップで上手に描いてました。
子供から大人まで、楽しく見られると思いますけど、大人の方がもしかしたら楽しいかもしれません。

『カリフォルニア・ドールズ』

今年のはじめに人から『刑事コロンボ』DVD一式を借りまして。
夜な夜なコロンボの違法捜査を楽しんでみているうちに、だんだんピーター・フォークがかっこいいのではないか、と思い始めまして。
いや、絶対にかっこいい。
かっこいいピーター・フォークが主演なのだからきっとこの映画も面白いに違いない。
(なぜか家にVHS版も存在しているし)
というわけで、カリフォルニア・ドールズを見ることになりました。


面白かったです!
荒くれもんのマネージャと、2人の女子プロレスラーが、ドサ回りの果てにチャンピオンベルトを手にする話。
いや、このピーターフォークが悪くてですね。
プロモーターのことが気に入らないからって車をバットでぼこぼこにしたりとか、賭場でいかさまをやったあげく追いかけてきた用心棒をバットでぼこぼこにしたりとか、やらせで子供たちに合唱を強要したりとか、彼女たちの稼いだ金で女をモーテルに連れ込んだりとか、いやー小気味よいくらいに悪い。悪いんだけど、ああいう人ですから、なんか憎めない。愛嬌があるしユーモアがある。レスラーの2人は真剣なんだけど、なんかそのペースに巻き込まれてがんばってしまう。
また、その2人のレスラーの試合が面白いんです。きちんとリングに立ってるし、がっちり技もかけてるし。(彼女たちはプロなのかしら)最後のダブルサンセットフリップも最高!かっこよすぎて腰抜けそうになりました。


真剣に生きよう、がんばろうとしている人たちの滑稽さだったりとか、無様さのようなものまでまるごと描いていて、そこから目をそらさずに、きちんと夢物語に仕上げていく技量がすばらしかったです。もう、愛さずにはいられないよね、彼女たちを。そりゃ、ピーターフォークもぎゅってしちゃうよね。ぜんぜんスマートな生き方じゃない。でもすごく心を揺さぶられる。そういう映画でした。ど根性スポコンと美女好きな方におすすめ。

「マッドマックス 怒りのデスロード」をみました!

映画館でしか楽しくない映画だと言われて、それならば3DIMAXしかないだろうと。そういうわけで行ってきましたよ、札幌ファクトリーへ。

http://wwws.warnerbros.co.jp/madmaxfuryroad/


面白かったです!興奮した!
これ以上なく安直な表現で申し訳ない。でもこの映画は本能でみるべき。あれこれ考えなくても楽しめるし、あれこれ考えても楽しめる、いい映画でした。
内容ですが、基本的にカーチェイスしかしていません。女が逃げ、男が追う。女が戦い、男を殺す。タフなやつが生き残る世界で、女が生き残るには?って考えたら、守ってもらうのが一番いいんだけど、彼女たちはそうしない。そこがぐっときました。
とらわれた世界は安全だけど、自由がない。自由な世界は危険だけど、可能性がある。そして一番いいなぁと思ったのは、マックスが「期待しないことだ」って言って、一番可能性のある未来へ連れて行くこと。マックス最高かっこいいです。
キャラクターもとてもよかったです。好きなのはフュリオサ、でも目を離せないのはやっぱニュクスですかね。最初はまるで道化なんだけど、それが成長して勇敢な戦士になっていく。
フュリオサというキャラクターにはもうちょっと、筆舌に尽くしがたい感情を覚えておりまして。彼女のようなタフな女なんて、ほんとはいない。それだけに、ややもするとロボットになりそうなんだけど、だからこそそこに現れる微妙な感情の揺れや、もろさのようなものが、なおさら真に迫って感じられました。彼女が虚空に向かって叫ぶシーンは何度思い出しても泣ける。そりゃ叫ぶよね。
全編カタルシスに満ちた、迫力のある映画ですし、アクションの原点みたいな、すごいカーチェイスも見られるし、映画館を出るときに気分がスカッとする映画なんてなかなかないんで、ぜひ、映画館で見てほしいなぁと思いました。
私もかなりいやいや連れて行かれたけど、出てくるときは「いやー素晴らしい映画だったね!」とか大興奮でしたからね。
たぶん、メイキングみたさにDVD買う自信ある。
男性にも女性にも、おすすめです。カップルで見ても気まずくならないんで、デートで観に行ってみてもいいかもですね。

「パラダイス:愛」「パラダイス:神」をみました。

ザイデル監督作品のつづき。
パラダイス:希望
http://d.hatena.ne.jp/asukakyoko/20150505#p1
インポート、エクスポート
http://d.hatena.ne.jp/asukakyoko/20150506#p1



「愛」と「神」をまとめて感想書きます。
面白かったんですけど、ひとことであらわすと、強烈。


現実って、これほど残酷なのだということを、現実以上でも以下でもなく描ける監督としては稀有のような気がします。残酷なのだけど、時には笑ってしまうこともあるわけじゃないですか。日常の中で起こる出来事って大変なんだけど思わず笑えたり、なんとなく見ないふりをしたりしてやり過ごせたりするわけですが、そういう場面がそのまま目の前に出てくるので、うわーってなる。うわーってどういうことかというと、居心地がわるい。家族でテレビ観てたらラブシーンに突入したときのような居心地のわるさ。


「愛」は、ケニアへのセックス観光を描いていて、女性が男性とのセックスを買うっていう話です。男性が女性のセックスを買うっていうのはありふれているし、特になにも言われないっていうか、別にふつうの問題として言われているのに、それが女性になったとたんなんかドラマになるっていうのも腹立つ話なんですが、ザイデル監督のインテリ臭さが気になってしまって、面白かったのですが腹立つなぁと思う話でした。
どの性にしろ、お金を介在させて関係を作るってどこかに後ろめたさを感じているもので、その後ろめたさを言いつくろうためにこれは支援であるとか、投資であるとか、つまり相手を交換可能な存在として扱ってみたり、あるいは愛であると物語を紡いでみたりする。性欲と生きるための身売りなんだとナマのままの状態を受け入れられるほど、みんな強くないようで。それが気が遠くなるほど美しいケニアの海辺で行われているというのも、かなりグロテスクでした。


「神」は、過激なキリスト信者の家庭崩壊を描いています。これは宗教なのか?って思わずにいられない、どこか倒錯したキリストへの信仰。これは信仰ではなく逃避っていうんだよ、って彼女に伝えたいんだけど、たぶん聞き入れないんだろうなって思った瞬間の徒労感がすごかったです。
注がれている愛に気がつかず、心地よいパラダイスへ逃げ込もうとしているという点では「愛」と一緒。ところがパラダイスそのものは、都合のいい場所として空想の中にしか存在しないものだから、実際にその中へ足を踏み入れたところで結局彼女たちは裏切られていく。パラダイスにはパラダイスのアイデンティティがあり、それは彼女たちが夢見た都合のいいものではないから。
で、「神」は最後の鞭打ちシーンにそれが落としこまれてるんですけど、いわば逆切れですよね。彼らは彼らとしてただあるわけで、それに裏切られるも守られるも、信仰する人次第。都合のいい世界は、夢見るだけにしておいたらって。思ってしまった。


ここで「希望」を思い返すと、唯一、その名の通り出口を感じるラストでした。おそらく違いはただメラニーが若いということだけなのですが、残された余白の質が明らかに違っていて、そもそも未来があるということ自体が、彼女自身の「希望」になっている。きっと彼女はこれからたくさん恋をするだろう、たくさんつらい思いをするだろう、そういうことを想像させられますし、それはもしかしたら今から想像もつかない過酷な現実となっているかもしれませんが、しかし、現時点ではいまだ空白であるということが、私にはとても嬉しかった。


いずれも特別ではないにしろ、ありうる日常で、ただ無知であったり、自分自身をうまく振り返れなかったり、盲目であるということによってパラダイスへすがってしまう。手に入らないものだからこそ「楽園」であるのに気づかないまま、その実在を確信してしまうがゆえに、彼女たちはひどく滑稽ですし、ひどく苦しい。


何も描かないことによって、何かが描かれていくというのは、やっぱりザイデル監督がドキュメンタリー出身であるというのが大きいのかなと感じました。



トリロジーの、なぜか三番目を最初に観るというスタートを切ったわけですが、結果的にそれほど問題はなかったのではないかと思います。
ので、みなさんは好きなやつから観てみてください。えぐいですが、わざとらしくないだけに、意外とするっとみられます。

「ゴーン・ガール(Gone Girl)」

天気のいい5月で嬉しい限りです。北海道は今が一番いい季節かもしれません。


話題作でしたが、劇場で観られなかったので。面白かったです。例によってネタバレしています。
失踪した妻をめぐる、家族やメディアの関係を描きます。
ソシオパスとされる女性に振り回される家族の話ですが、個人的には登場時から怪しさマックスだったため、特別な驚きのない映画だと感じました。受け手にとって夫が犯人かもしれないと疑う余地はほぼなく、映画の3分の2くらいは女がどうやって夫の下へ戻ってくるのかという筋に費やされていますので、サスペンスというよりも、後半はどちらかというとサイコスリラーといった様相を呈してきます。
カッターでざっくり切りつけたりと、禍々しいシーンは若干あるものの、全体的に、登場人物が全員なんらかの疑心暗鬼に陥った状態を描いていますので、ただ単に暗い。エイミーの気味悪さは十分に描かれていたと思います。
ソシオパスがもっと怖いのは、彼らが見かけ上はなんの区別もなく、幸せを演じることができ、それを他者にも強要するという点である、というテーマでしたが、そこはとても上手に描かれていました。エイミーを演じる女優のロザムンド・パイクも素晴らしかったです。ソシオパスという概念を明らかな実体として描き出したという点では、ナカナカ問題作だったのかも。(身近にも、あいつソシオパスじゃないかという人はけっこういますね)
パートナーに対して少しでも疑念や不満を持っている夫婦は見ない方がいいかもしれませんね…。