存在は、失われたときにようやく意味をもつ言葉だとすると、存在という概念は常に消極的にしか存在しない。 とはいえ、あるのなら歴としてあるのだから、消極的にしか、なんてことはありえないのだが。どうでもいい言葉遊びは置いておくとして。まるで自分だ…
論理は伝えるための方法ではなく、間違わないための方法であり(解釈する主体によって左右されないという意味で)、その意味に限っては、伝えるための方法であると言える。 社会に出てみて驚くのは、会話や主張が、どれほど多くの場合論理的ではない言い方で…
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