失うということについて

存在は、失われたときにようやく意味をもつ言葉だとすると、存在という概念は常に消極的にしか存在しない。
とはいえ、あるのなら歴としてあるのだから、消極的にしか、なんてことはありえないのだが。

どうでもいい言葉遊びは置いておくとして。

まるで自分だけが別の世界にいきているようだと彼女は言った。
世界は、彼の存在が失われると同時に彼女のもとを去ってしまったのかもしれない。

同じ空間にいるということが、今より無力に感じることはなかった。
同じ人を失った悲しみを、私と彼女は理解しあえず、彼と彼女もしあえない。
克服は常に一人でしかできず、私たちにできることと言えば、待つことだけだ。

結局生まれるときも、死ぬときも、私たちはひとりだ。
でも悲しくはない。
寂しいだけで、穏やかな気分ではある。