「パラダイス:愛」「パラダイス:神」をみました。

ザイデル監督作品のつづき。
パラダイス:希望
http://d.hatena.ne.jp/asukakyoko/20150505#p1
インポート、エクスポート
http://d.hatena.ne.jp/asukakyoko/20150506#p1



「愛」と「神」をまとめて感想書きます。
面白かったんですけど、ひとことであらわすと、強烈。


現実って、これほど残酷なのだということを、現実以上でも以下でもなく描ける監督としては稀有のような気がします。残酷なのだけど、時には笑ってしまうこともあるわけじゃないですか。日常の中で起こる出来事って大変なんだけど思わず笑えたり、なんとなく見ないふりをしたりしてやり過ごせたりするわけですが、そういう場面がそのまま目の前に出てくるので、うわーってなる。うわーってどういうことかというと、居心地がわるい。家族でテレビ観てたらラブシーンに突入したときのような居心地のわるさ。


「愛」は、ケニアへのセックス観光を描いていて、女性が男性とのセックスを買うっていう話です。男性が女性のセックスを買うっていうのはありふれているし、特になにも言われないっていうか、別にふつうの問題として言われているのに、それが女性になったとたんなんかドラマになるっていうのも腹立つ話なんですが、ザイデル監督のインテリ臭さが気になってしまって、面白かったのですが腹立つなぁと思う話でした。
どの性にしろ、お金を介在させて関係を作るってどこかに後ろめたさを感じているもので、その後ろめたさを言いつくろうためにこれは支援であるとか、投資であるとか、つまり相手を交換可能な存在として扱ってみたり、あるいは愛であると物語を紡いでみたりする。性欲と生きるための身売りなんだとナマのままの状態を受け入れられるほど、みんな強くないようで。それが気が遠くなるほど美しいケニアの海辺で行われているというのも、かなりグロテスクでした。


「神」は、過激なキリスト信者の家庭崩壊を描いています。これは宗教なのか?って思わずにいられない、どこか倒錯したキリストへの信仰。これは信仰ではなく逃避っていうんだよ、って彼女に伝えたいんだけど、たぶん聞き入れないんだろうなって思った瞬間の徒労感がすごかったです。
注がれている愛に気がつかず、心地よいパラダイスへ逃げ込もうとしているという点では「愛」と一緒。ところがパラダイスそのものは、都合のいい場所として空想の中にしか存在しないものだから、実際にその中へ足を踏み入れたところで結局彼女たちは裏切られていく。パラダイスにはパラダイスのアイデンティティがあり、それは彼女たちが夢見た都合のいいものではないから。
で、「神」は最後の鞭打ちシーンにそれが落としこまれてるんですけど、いわば逆切れですよね。彼らは彼らとしてただあるわけで、それに裏切られるも守られるも、信仰する人次第。都合のいい世界は、夢見るだけにしておいたらって。思ってしまった。


ここで「希望」を思い返すと、唯一、その名の通り出口を感じるラストでした。おそらく違いはただメラニーが若いということだけなのですが、残された余白の質が明らかに違っていて、そもそも未来があるということ自体が、彼女自身の「希望」になっている。きっと彼女はこれからたくさん恋をするだろう、たくさんつらい思いをするだろう、そういうことを想像させられますし、それはもしかしたら今から想像もつかない過酷な現実となっているかもしれませんが、しかし、現時点ではいまだ空白であるということが、私にはとても嬉しかった。


いずれも特別ではないにしろ、ありうる日常で、ただ無知であったり、自分自身をうまく振り返れなかったり、盲目であるということによってパラダイスへすがってしまう。手に入らないものだからこそ「楽園」であるのに気づかないまま、その実在を確信してしまうがゆえに、彼女たちはひどく滑稽ですし、ひどく苦しい。


何も描かないことによって、何かが描かれていくというのは、やっぱりザイデル監督がドキュメンタリー出身であるというのが大きいのかなと感じました。



トリロジーの、なぜか三番目を最初に観るというスタートを切ったわけですが、結果的にそれほど問題はなかったのではないかと思います。
ので、みなさんは好きなやつから観てみてください。えぐいですが、わざとらしくないだけに、意外とするっとみられます。