高橋源一郎「さようなら、ギャングたち」

書評が勉強になる。自分の言いたい事を表現するのは大変だ。だが、うっかりしてぼんやり表現してしまうと、全部同じものになってしまう。本が違うのに同じ書評というのは、最悪だ。だから、その本の特徴を一生懸命探して、その本にしかできなかったことはなんだろうと考える。そして、それをひいこら言いながら文章にする。書評が文章トレーニングとして適しているのは、いずれの本についても、同じ方法は通用しない点にあると思う。その都度、適した方法を見出す必要がある。以前はこの方法だったから、今回もこれで、とやっているとうまくいかない。要するに、すぐにネタ切れしてしまう。ところで、今回も一般化しすぎるという罠に陥っている。書評は難しい。


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さようなら、ギャングたち (講談社文芸文庫)

さようなら、ギャングたち (講談社文芸文庫)

どうしてこの小説がポップと言われるのか、考えていた。答えは、深刻じゃないからだ。

死、精神の淵、切り詰められ選び抜かれた要素(純粋さ、美、憎しみ、情熱、等々)といったものはこの小説には出て来ない。それらのテーマはすべて深刻なものだが、ここにあるのは、強いて言うなら、愛だけだ。

それからこの小説には一般的な意味での論理はでてこない。著者は推論よりは比喩を、説明よりは描写を、意味よりは語感を選ぶ。だからこの小説は小説らしさよりは、むしろ詩らしさをつよく帯びている。

つまり構造的枠組みの構築より、連想の繋がりのよい場面を選んで並べる。部分においても、それまでになかったかもしれない言葉同士の関係を引き出してみせ、そのまま立ち去る。この小説のよくできているところは、このように全体と部分の構造がとてもよく似ていることだ。だから一見すると適当に言葉を並べているようでいて、一定の秩序を感じとることができる。

この秩序が嫌だと感じる人もいるだろう。好きだと感じる人もいるだろう。けれどその詩らしさを失わずに小説として形を保っていられるということそのものに、私は驚きを感じる。そして、小説の自由さと、言葉の自由さに、また気持ちを奮い立たせるのだ。
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