内田百けん『第一阿房列車』

第一阿房列車 (新潮文庫)

第一阿房列車 (新潮文庫)

お恥ずかしながら内田百けん先生の御本を今更ながら拝読している次第です。目的のない旅というか、とにかく列車に乗りたいだけなのではないかという疑惑と共に、ヒマラヤ山系くんと二人であちらこちらへ行く百けん先生の紀行文というか思い出話というかなにかそういった類のもののはずなのですが、元来目的がないものですから、文の方向も定まらず、ただどこかに向かっているということだけが文章の行方を定かにする手がかりにすぎず、その行き先は決定されていながら中身はすっかり抜けている有り様が、電車を乗り降りするたびに読書を中断される私自身の有り様とも重なることで奇妙な心地よさを覚える仕掛けになっています。
淡々と述べられている事柄は、列車のタンタンというリズムとも似ており、またその安定感は、断続的な読書であっても一続きのものとしてむしろ「戻ってきた」という感覚すらある。ああそうか、百けん先生は昨日はこのあたりまで進んでいたのだったな。そうか、お酒を買ったのにお燗に出すのを忘れて持って帰ってきてしまったのだったな。そういうことを思い出しながら、さて、今日はどこまで進むのだろう、という、不思議な共振めいた時間を過ごすことになります。これは電車の中で読む本として、想像以上によい本であると思いました。部屋で読むより、断然電車の中で読むべき本です。これまで人が目的もなく電車に乗るのを理解できずにいましたが、これを読んでみると、なるほど、ちょっとふらりと電車に乗ってみたくなるのでした。