本日のカラマーゾフ

カラマーゾフの兄弟3 (光文社古典新訳文庫)

カラマーゾフの兄弟3 (光文社古典新訳文庫)

アリョーシャがゾシマ長老の死を通じて神の(あるいは世界への)愛を悟る場面がすごい。読むだけで心を揺さぶられる描写なんて、久しぶりに出会った気がする。ちょっと長いけど引用します。

 彼は表階段でも立ち止まらず、早足で下に降りた。歓びに満ちあふれる彼の魂は、自由を、場所を、広がりを求めていた。
 彼の頭上には、静かに輝く星たちをいっぱいに満たした天蓋が、広々と、果てしなく広がっていた。天頂から地平線にかけて、いまだおぼろげな銀河がふたつに分かれていた。
 微動だにしない、すがすがしい、静かな夜が大地を覆っていた。寺院の白い塔や、金色の円屋根が、サファイア色の空に輝いていた。建物のまわりの花壇では、豪奢な秋の花々が、朝までの眠りについていた。地上の静けさが、天上の静けさとひとつに溶けあおうとし、地上の神秘が、星たちの神秘と触れあっていた……アリョーシャは立ったまま、星空を眺めていたが、ふいに、なぎ倒されたように大地に倒れこんだ。
 なんのために大地を抱きしめているのか、自分にもわからなかったし、どうしてこれほど抑えがたく、大地に、いや大地全体に口づけがしたくなったのかさえ理解できなかったが、それでも彼は大地に泣きながら口づけをし、むせび泣き、涙を注ぎながら、有頂天になって誓っていた。大地を愛すると、永遠に愛すると……。
『おまえの喜びの涙を大地に注ぎ、おまえのその涙を愛しなさい……』彼の心のなかでその言葉が響きわたった。何を思って彼は泣いていたのか?
 そう、彼は、歓びにわれを忘れて泣いていたのだ。天蓋から彼にむかってささやくように輝いている、この無数の星たちのことを思っただけで泣けたのだ。そして彼は、「自分のそうした有頂天を恥じてはいなかった」これらすべての、数限りない神の世界から伸びる糸が、彼の魂のなかでひとつに結びあい、「異界と触れ合うことで」魂全体が震えていたのだった。
 彼は、すべてに対して、すべての人々を許し、許しを乞いたかった。そう!それは自分のためではなく、すべての人、すべての生きとし生けるもののためだった、《自分の罪はほかの人々が許してくれる》ふたたび彼の魂のなかでひびく声があった。だが、一瞬ごとに彼は、この天蓋のようななにかしら確固としてゆるぎないものが、まざまざと、肌に触れるような感じで、自分の魂のなかに降りてくるのを感じとった。なにかしら、ひとつの理想のようなものが、彼の頭のなかに君臨しつつあった……それも、もはや一生涯、そして永遠につづくものだった。
(亀山訳『カラマーゾフの兄弟3』、pp.107-108)