言葉と心

言葉と心 (双書エニグマ)

言葉と心 (双書エニグマ)

指示の権威説は、権威が歴史的に伝承されることを主張するという点に関して、指示の歴史説と似ている。しかし、権威説によれば、固有名を用いた指示対象の特定は、因果的なものでなく、社会的なものであり、権威の集団的承認に支えられたものである。
(pp.193-4)

恋人が私を「ねこ」と呼ぶとき、私は恋人に権威を認めているのだろうか。そもそも、誰が恋人に権威を認めているのだろうか。呼び名「ねこ」はあからさまに固有名であるにもかかわらず、権威を拒否しているようにみえる。そしてそれでも、私と恋人は通じ合っているようにみえるのだ。
もし、私が死んだあとで、私のことを思い出す恋人が、誰かに「ねこはダメなやつだった」と伝えるとき、話し相手が「ねこ」は私のことだと分かるなら、そこに、どのような権威が生じているのだろう。恋人は、私という人間に関する権威だということになるのだろうか。しかし、そのような権威を認めない人間にとっても、「ねこ」は少なからず、私を指すのではないのだろうか。


あと一応いっとくと、恋人が私をねこと呼ぶという事実は存在しません。