草間弥生『クリストファー男娼窟』

クリストファー男娼窟

クリストファー男娼窟


古書店店主のはなしは本当でした。草間弥生の小説はすごい。細密すぎるアップと思考の雑音入り交じる遠景を交互に絶え間なく見せられ続け、その描写に酔っぱらううちに現実なのか幻覚なのか妄想なのかまったくわからなくなっていく。そうして比喩の渦に巻かれながらうっかり本の外に出てしまっている間に、はっと気づくと物語は終わってしまっているのです。あ、待って待ってそこもう一回!と思って巻き戻し、見直すことでようやく何が起こったのかを理解するということを、私は何度繰り返したかもう忘れてしまいました。小説なのに、です。映像ではないのに、です。読む方に乗りこなす体力がないと、振り落とされて置いてきぼりにされてしまう、暴れ馬みたいな。好きだけど、沢山は食べられない珍味みたいな。今はお腹一杯だけど、少し時間が経ったら絶対また読むんですよ、私は。

 塔のてっぺんへ抜ける道。ばらばらに砕け血にまみれた木の実が、各階の窓のガラスに赤くへばりついて、それを鳥が啄んでいる。鳥たちはひどく飢えていて、真紅のカラスウリの実を、力の限り砕くので、そのたびに窓のガラスは何千、何万の穴をあけられているではないか。
 腹をふくらませた鼠が物音に逃げていく。妊娠しているのだろうか。あの腹の脹れ。それは癌細胞が増殖して、床に引きずるほど脹れ上がっていたのだった。
 よくみると、逃げおくれた痩せた鼠の後足は、腫瘍で半分にちぎれ、膿をしたたらせている。濁った卵黄色の膜は階段のすべての足場をネトネトにして、二人の素足に吸いついてくる。
 ダイヤモンドやルビーをちりばめた紅灯のかげに、恋や愛を綾なして彩ってきた歓楽の浮沈鑑、マンハッタン島の現し世の夢を無惨にもいまは廃墟と化してそそり立ち、天への階段をのぼっていく男女を嘆かせた。
草間弥生「クリストファー男娼窟」pp.78-79)