料理とお菓子

上述のようにわたくしの料理は非常におおざっぱです。材料の分量はおおかた目検討であり、ほぼどうでもいいと言ってよいほどの縛りしかありません。そんな私がお菓子作りをするようになるなんて誰が想像したでしょうか。今日はその謎に迫ります(N●Kふう)。
私にとってこれまでお菓子のイメージというのはもうとにかくやたら煩雑であり、過激に繊細であり、少しでも分量を間違えようものならあっという間に炎上しかねないといった、マッドサイエンティックなものでした。実際、技術的に難しいお菓子というのは多々あります(中でもメレンゲを作る行程が私は極度に苦手なのです)。
ところがある時そういう行程を必要としないお菓子というのも存在するということをこの歳にして知ったわけです。と同時に、料理は比較的生命に関わる重大事であるのに対して、お菓子はなくても済まされるおまけ的存在であるということ、つまり完全に余興であるということに思い至り、その結果私のお菓子作りは限りなくおもちゃ遊びに近いものになったのであります。
食べ物で遊ぶとはどういうことかと怒られる向きもあるかもしれませんが、間違えてはいけません。食べ物で遊んでいるのではなく、食べ物を作るという行為それ自体がすでに遊びなのです。この感覚を私はコーヒーをいれる時にも感じます。お湯の温度、豆の種類、挽き方、分量、お湯の注ぎ方、そのすべての過程に一分の隙もなく意味があり、一つでもずれると全体がだめになってしまう。この精密さに限りない面白みを感じるのです。
料理は食べることが目的ですが、お菓子やコーヒーのばあいはその精密さとその過剰さゆえ、結果に至る過程の方が面白く、できあがるものにそれほど目的があるようには、自分では思えません(もちろん食べますけど)。それは幼い頃に積み木を積み上げては壊していた頃の、ただその行為が楽しくて仕方なかった感覚に本当に近い。完全に生きることと関係ないゆえに、完全に余剰であるゆえに、完全に没頭して真剣になって我を忘れることができる。何年か前、お茶を淹れることを「お茶で遊ぶ」と形容していた人のことを私は今なら理解できそうな気がします。