どうも、クリプキは様相を純粋に形式的(この言い方はまったく不正確ですが)だと考えているふしがある。てかたぶんそう。意味(つか解釈)と切り離して、様相を考えてる。様相は意味しない。それは、なんというか、公式なのだ。そこに当てはめれば、全部必然的になる、みたいな。この形のものは全部必然的になるんです、みたいな。なんだかんだ意味の関わってくる部分は、ぜんぶ切り落としてる。なかったことにしてる。意味とかめんどくさいっていうか。でもほんとにそれでいいんだろうか。てかほんとにそうなんだろか。どうも何か見落としている気がする。