"Beauty and Atmosphere"

"Beauty and Atmosphere(The interview with H&dM)" in : Philip Ursprung(e.d.), Herzog & de Meuron NATURAL HISTORY, pp364-365

Philip Ursprung: 人は時々、あなた方の最近の作品は、たとえばプラダ東京のようなものは、虹色に輝く石鹸の泡のみたいに、空間の中で弾けているように感じるようですが。

H&dM: ここ数年間、香水を製作するということを戯れに考えていました。我々は、建築家が21世紀の香水をデザインするべきだと、確信していたのです。それはファッションデザイナーでも、アスリートでも、映画スターでもなく、です。
それにもかかわらず、あるいは恐らく、香水メーカーやファッションデザイナー、ファッション業界のトップの人々との議論のおかげで、我々は未だ自分たちの考えを現実化する(realize)ことができずにいます。たぶん、もう手遅れでしょうね。香水の業界は知的に、一新されましたし。それは主としてコム・デ・ギャルソンプラダ、ゴルチェといったところによって行われました。
ファッション業界では、この業界というのはどういうわけか常に魅力的なわけですが、物事が建築界に比べてもっと速く動きます。つまり服を着たり、服を脱いだり、それ自身を変形させたり、形を与えたり、彫刻的な可能性を試してみたり、表面の肌理の性質を調べたり、スタイルを創り出したり、それをまた捨てたりといった具合に。ファッションは我々すべてに影響を与えます。何故なら、誰もが何らかの洋服を着、その着ているもので何かを表現しているからです。香水というものはその一部です。そして利用できる範囲が常にそれ以前よりも広いのに、一方ではどうしてかその範囲が限られてしまう。香水に関して本当に面白いのは、実はその匂いではなく、むしろ思い出、その匂いと共に蓄積された思い出の方なのです。
匂いや香りは過去の体験やイメージを、ほとんど写真並みに呼び起こすことができます。我々にとっては、ある一定の匂いはつねに建築的イメージや空間的思い出を作り出しました。それはほとんど私的な映画のようなものです。だから、我々は決して特定の匂いを創り出すということに興味をそそられませんでした。それよりはむしろ、フィクションと現実の間のある種の接点のようなものにアクセスが可能な、匂いや香りのライブラリーが欲しかった。つまりは、甘い匂いや、油彩画のような、雨が降っているときの濡れそぼったコンクリートや生温かなアスファルト、あるいは古い台所の匂い、といった匂いの香水が、欲しかったわけです。
こうした香りというのは、良い香りを嗅ぐという伝統的な考え方にそぐわないですね。我々はそうしたちょっと普通ではないプロジェクトに取り組むのを好んだでしょう。何故なら我々の建築への理解に、事業の遠くにまで及ぶ分野として別の一面を付け加えたでしょうから。しかしそうこうするうちに、この考えは古くさくなってしまいました。こういった、あるいはこれに似た匂いはすでに存在していますし、その他のすべてと同様に、再び消えていこうともしているのです。
また、香りに関することで他に見え隠れしているのは、建築にも同様に応用できる側面、すなわち我々の上に痕跡を残し、私たち自身の歴史を思い起こさせる、という側面です。ある人は若い頃の校舎をただ思い起こすことのみを必要としますが、その建築は終生、特に特定の匂いとの繋がりにおいて、イメージを作るのです。しばしば人の過去における建築の記憶に起因した、居心地悪い感じが、過ぎ去った時間や、我々の人生をすべてと共にあった時間を呼び起こような事実に関係があるのかどうか私は知りませんし、あるいはまた我々がこれら建築的な記憶に日常的な挫折を投影するのかどうかも、私にはわかりません。
我々は確実に、より良くも、より貧しくもデザインすることができますし、より心地の良い建築もそうではない建築も、デザインすることができます。しかし、香水のように、それは決定的に重要なものと結びつけられた経験なのです。サッカースタジアムで勝利を経験することと敗北を経験することの間には違いがあります。記憶と経験とは常に各々独立しています。このとらえ所のない感情の要素、場のアウラを特徴づける要素は、建築の知覚においてある役割を演じます。建築はニュートラルではいられませんし、ある意味で、建築は非常に古風なメディアですから、それは完全に、我々を身体的に巻き込み、そこから離れることを許そうとしないのです。