Twitterのアカウントを消しました。

特別、ここに書く話でもないかもしれないですが、わずかながら、両方をご存知の方もいらっしゃるので。
表題のとおり、Twitterに持っていたアカウントを消しました。
理由は、過去を忘れてもいいかなぁと思ったから。
私はずっと、自分のことを整合性を持って語ることができるのが自分らしさだと思ってきましたが、何かしら、他人のような自分が延々とネット上に生き残っているのも気持ちが悪いものだなと感じ始めました。
そこには亡霊のように、過去の自分が息づいていて、それは自分のかけらを背負っているのに、ある意味では、まったくの他人になってしまっていて、そういうものが唐突に気味が悪くなった。
過去の清算とか、過去を忘れたいとか、消したいとか、そういう衝動も整合性もなく、なんだろう、忘れてもらえない過去、が不気味になったというのが一番近い感覚です。
それに、未練がましく過去を引きずり続けるのもかっこ悪いなぁという思いもありました。
過去に考えたことを取っておけば、後々小説のネタにでもなるんじゃないかと思ったりもしましたが、まぁこの先しばらくそういうチャンスもなさそうですし、なんだか未来のほうを向いていきたい気分でもあったので、衣替えのようなものだといってもいいかもしれません。
内省的な自分のことは嫌いではないですし、そういう時間も自分にとっては必要だろうと思いますが、それを他人にわざわざ見せるのは、悪趣味じゃないかと思うようになったのもの大きい。
内省は自分でやってろと。


この3年ほど、一般企業で働いて、自分自身に大いに社会性が欠けていることに気づきました。特に気づかいってやつ。これが全然できません。
ただ、いいこともあって、その一つが前向きになったこと。
もともと楽観的な性格ですが、ここ最近それに拍車がかかっている気がします。そこで過去のTwitterの投稿とかを見るとなんかすごく暗い。暗いし、「みてみて」感がひどい。自分が大切すぎてまったく周りが見えてない感じがありありと伝わってきて、正直、やや振り返っただけで激痛を伴いました。
今でも、すごく自己中心的で、自分がいかに傷つかないかばかり考えてしまいがちですが、それに気づける環境になっただけほんとありがたい話です。世の中には、他人のことを考えてる人がこんなにいるんだと。


公害のようなものをいつまでも公衆にさらしておくのもなぁという思いも湧いてきて、表題のようなことになりました。これまでご覧くださった方、つながりを持ってくださった方、ありがとうございました。


今後どうするかわかりませんが、自分の中の部活動として、このブログはやっていこうかなと思っています。
割と、そこそこ、正直に書いていると思うので。