ノスタルジックメモリー


記憶がいつも甘く、再会が常に喜びに満ちてばかりはいないという話。


成長って挫折の積み重ねなんだと思います。
私は、もっとも多感だった頃に、身体表現を生業にするのをあきらめました。
だって、自分より情熱があり、才能のある人たちがあんなにいるんだから、自分でやる必要がなくなってしまった。
でも、その場所がすごく好きだったし、そこにいる人たちのこともすごく好きだった。
だから、しばらくそこにいました。役者としてというよりも、お世話係として。


それから20年が経って、ほとんど交流もしていなかったその後の人たちが、積み重ねてきた努力によって、私がかつていた場所は、ずいぶんと、整った場所になりました。
立派なスタジオもでき、才能のある役者さんが育ち、あちこちで公演できるまでになった。
その足跡を祝って、小さな宴会が催されました。


相変わらずです。
いい意味でも、悪い意味でもなく、彼らは彼らのまま、成長していました。
私は奇妙なねじれた感情を感じながら、その場にいました。
再会が嬉しく、これだけ立派なものになったのが嬉しいのと同時に、そこに依然として残っていたものが、私がかつて苦しめられたものであり、痛々しい思い出としか結びつかないものだったから。
当時は、よくわからないままに流されていたものが、今目の前にすることで、明らかな否定的な意味を持ってしまった。


私は逃げたんです。
自分が一番上手にできない場所から、自分が何も報われなかった場所から、単に逃げた。
役者の世界は、身体表現だけがすべて。
すべての能力は、表現されなければ意味がありません。
どれほど台本の読解力が高くても、どれほど真摯に稽古に取り組もうとも、それが身体表現として、観る者に何かを訴える形にならなければ、何の意味もない。
才能と、その場に現出する形がすべてなんです。
そして今になってわかるのは、その才能を感じた人たちでさえ、役者としては生きていないという事実です。


よくわからなくなりました。
確かに私は、あの頃情熱をもって取り組んだことに再会できて、何かしら感動していました。
それなのに、私はあの時に受けたある種の否定を、結局なにも乗り越えられていないのかもしれないとも思った。


再会とはこれほど残酷で、自分を無様にするものだったろうか。
もしかするとそれは、私のわからないいくつかの目配せが意味するものだったのかもしれません。
なぜあの人はこの場にいないのか。
なぜあの人は役者にならなかったのか。
それなのに、なぜ彼らは、これほどの情熱をもって舞台に立てるのか。


現実とは、自分の信じる幻想へ加担することです。
だとすると、私は彼らが口をつぐむことで加担する幻想を壊すべきではない。
ただ、彼らの作るものを観ることで、その幻想の一端を知るだけです。


成長とは一直線ではなく、むしろもっと入り組んだ、毛糸のようなものかもしれません。
先へ進んでいるようでいて、少しずつ形を大きくしながら、見える景色を変える。
久しぶりに、私はビジネスライクな直線モデルではなく、迷いながら進む毛糸玉モデルから人生を振り返った気がします。
自分の人生だって、これほど多様に見えるのですから、きっと、私がみたあの夜の舞台も、私が見るものよりはずっと複雑なんでしょう。
なんにしろ、3月の舞台には行かなくてはと思っています。
もっと糸がこんがらがるだけのようにも、思いますが。