「ホドロフスキーのDUNE」「インヒアレント・ヴァイス」「グランドブダペストホテル」「ファーゴ(Fargo)」「007 SKYFALL」「ハンナ・アーレント」

3ヶ月ほど放置していると見た映画ばかりたまり、たまったけど書いていないと書くのがおっくうになり、結果として観たことも忘れるという循環に陥り、割とそれでもいいかって思ってしまうので、たぶんそれほど映画に対する愛がないのかもしれないなと思い始めましたが、いい映画も観たんで、忘れないうちに書いておこうと。あとコロンボブームも平行してまだまだ続いています。最近展開がよくわからない話が多いです。あとあれ、何回も同じ人が犯人役やってるから混乱する。


おじいちゃんの妄想に振り回された人々の証言映像。ヒーローになれなかった息子が物悲しいのと、小説と違い、映画って実現しなかったらほんとタダの妄想なんだなということを思い知らされるという意味では、テリー・ギリアムドンキホーテに通じるところが。映画って、ほんと大変なんですね。もちろんこんだけ大変なものが興行的にコケるとか夜も眠れないと思いますが、それ以前に完成しなかったのに莫大にお金がかかった2作については、ほんとご愁傷様でしたとしか言いようがない。そういうお蔵入り映画って、結構あるんでしょうね…知らないだけで。


ポール・トーマス・アンダーソン監督の最新作!最高面白かった!でもよくわかんない映画!
この監督はどんどん進むなぁと。ケツを素手で叩きまくってからいきなりセックスするシーンとかもう意味わかんないけど切ない感情だけは伝わってきて「よくわからないけど(感情では)すごくわかる」状態にもっていくのがどんどんうまくなってる気がします。およそ一回もそんなシーンに出くわしたことがないにも関わらず、なぜか心が動かされる。ピンチョンの原作のほうを私は読んでいないのでそこは何とも言えないけど、警官がタバコをむさぼり食うシーンなんて、ゴジラにしか見えず、ゴジラがいきなり扉をぶっこわして部屋に入ってきてタバコをむさぼり食う様子を呆然と主人公が眺めるんだけど、そこでなぜか泣くんですよ。そして完全に支離滅裂なのに、私も切なくなってしまった。「ああ、そうだよね」って思っちゃったもんな。なんというか、そういう映画です。あと、謎は一個も解決されないです。


しみじみ面白かったです。いい映画。
時代に取り残された人の最後のあがき。あるいは、一世一代の大博打というか。物語が2重構造になっているのも、面白かったです。いや、3重構造かな。こうなるともう、本当のことも、虚構も、区別がつかないし、それを目の前に映し出せる映画って素敵だなぁと、いつも自分が夢を見ながら感じる楽しさを、映画で再現してもらっているようでした。
ウェス・アンダーソン監督苦手でしたが、きちんと作っている映画については面白いということがわかったので、毛嫌いせず見てみようと思いました。


TV版と、映画版と。どっちも面白かったですけど、コーエン兄弟出世作という割には、けっこう地味でした…。
TV版の方が、謎の殺し屋の不気味さだったりとか、悪が伝染していくシステムだったりがうまく描かれていたように思います。映画って、短いですしね。いろいろと、ツメが甘いよ!って思うところもあったりなかったりしますが、運悪く巻き込まれてしまう人物たちが、どこかの時点で、言い訳のようにして自分で過ちを選択するのが、一番不気味だったかなと思います。


実は、007シリーズはこれが初めてです。面白かったけど、前のヤツも見とけばよかった。
全体として、スパイが時代遅れになっていく中で、年老いて無力になっていく007の葛藤が描かれています。ただ、葛藤が抽象的すぎて、ボンド氏が精神分裂しているようにしか見えない。レフン監督が撮ってもいいのではないかという抽象度の高さ。スパイの強さって、別に肉体でも頭脳でもなく、情報なわけで、その情報がバンバン漏れだす時点で役に立ってないんだけど、ボンドはあきらめない。お前死ぬぞ、と言われながらも敵に向かっていく。これはどちらかというと、自殺に近いのでしょうし、そこではすでに、国は失われてしまっている。個人と個人の戦いであるように見えます。でも、最後に従属を断ち切ろうとした敵を、自らのナイフで殺すとき、ボンドは結局、自分の従属をより強くしたのではないか。彼が007というコードネームを名乗るとき、彼は個人ではなく機関の一部であり、結局最後まで、彼は個人ではなく、機関の一部であることを選んだんじゃないかと。それは幸福でも不幸でもなく、彼が生きるということは、すなわちスパイである007としてだけなのだということを、この映画は描きたかったのかなぁというようなことを考えつつ、次回作も観てみようかなって思いました。(まんまと)


地味な映画でしたが、面白かったです。
アーレントの考えた「悪」や「全体主義」のことが少しわかるかも。「私が愛したのは、どんな人種でもなく、友人たちだ」という彼女の台詞は、彼女自身が口にしたのかどうかはわかりませんが、そう言うしかないのだろうとも感じます。それ以上に、「考えることをやめてはいけない」という彼女の言葉は、今の私にとっては、勇気付けられるものでした。なんというか、「007」と同じタイミングで観たのは、皮肉なめぐり合わせというか。ボンドが自ら考えることをやめ、機関の一部となることを選んだ、人間であることをやめることを選らんだのに対して、アーレントは、強く、人間であること、考えることの放棄に警鐘を鳴らす。一方で、どちらの物語も、「誤って悪を実行する」ことについては恐れている。組織は人ではなく、システムも人ではない。私たちはそこに従うことで誰しも、誤って悪を実行することがあるかもしれない。だから、考えよ、とアーレントは言う。それが人間でいるための最後の方法なんだと。