帰属することについて


所属していた研究室の、研究会へ行ってきたのだった。卒業したのはちょうど10年前、そして10年ぶりに、同窓生が一堂に会した。何かが起こるとも思わなかったし、何かを起こそうとも思っていなかった。せっかくだから、くらいのものでしかなかった。
特別何かが起こったわけではなかった。強いて言ってみても、何も起こらなかった。ただ、圧縮された10年が一気に水を吸い上げたように、私の中で何かが大きく弾けた。ひしゃげていた花が首を持ち上げて、太陽のほうをむくように、私に堆積していた数多くの記憶や思いそのものが全身の皮膚を通り抜けてあふれ出した。空気そのものが、過去へ変化していくようでさえあった。無味乾燥だと思っていた場所が鮮やかに色づき、匂いさえ伴って蘇ってくる。過ぎた10年が私の足元で一気に積み上げられたかのようでもあった。とても美しい瞬間だった。


思い起こせば、なんとたくさんの自分を否定してきたのだろう、とふと思う。ずっと変わりたいと願っていて、変わるための努力もしたし、そして変わったと思っていた。捨てたものはすべて必要のないものだと信じた。その過程で、自分を受け入れてくれないものにたくさん出会ったし、それは私が悪いのだと思ったり、相手が悪いのだと思ったりしてやり過ごしてきた。
10年も前に、私は自分を受け入れてくれた場所があったことをすっかり忘れていたことになる。何かを言うことを許されて、議論ができた場所がすでにあったのに、その価値に気づかないままだった。与えられていたものの豊かさに、今頃気づく。そんなことを感じるようになろうとは、ついぞ思わなかった。
要するに年を取ったということかもしれない。特にこの10年は色々ありすぎた。知らない間に、しこりのようなものが体の中に凝り固まっていたのかもしれない。気づいたのは、たぶんそのしこりも私自身なんだろうということだ。受け入れられるようになったら、私の一部にしてあげることができるんだろう。まだ残り続けているいくつかを、いずれ認めることができればいいと思いながら、暗い道を自転車で帰った。風が吹き、桜はすでに散り始めていた。