スキャナー・ダークリーを見ましたよ。

なんとなく映像が面白そうというのと、キアヌ・リーブス、ロバート・ダウニーJr.と、P.K.ディック原作というあたりで選びましたが、結果として非常に面白かったです!

スキャナー・ダークリー [DVD]

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まぁ、映像に関してはこれ別にアニメーションじゃなくてよかったよね〜という感じですが、ストーリーと俳優さんは本当に素晴らしかった。特にキアヌ・リーブスの「普通な青年」的風貌が、演技の鋭さに拍車をかけていたように思います。


自己と、自己を見るもうひとつの自我の分裂を、監視という現実のシステムを通じて鮮烈に描く今作は、その過程で否応なく、自分ではどうしようもない力に巻き込まれていく個人の情動、絶望、希望、が見事に表現されています。また、それだけ大小の隠喩や類似、相似形の関係を重ねて描きながら、ストーリー自体はシンプルに落ち着いているのも素晴らしい。
クアロン監督の「トゥモロー・ワールド」と比較するとわかりますが、こちらには奇跡は一切登場しません。不可解さを徹底的に科学へ落とし込むのがSFだとすると、今作はまさにSFの王道であり、近未来的な道具立ては唯一、覆面用の「スクランブル・スーツ」のみ。それゆえ、描き方はどちらかというとミステリーの手法に近く、そしてメインに来るのはドラッグに完全に埋没した怠惰な日常です。
そう、日常を延々と描く。しかも、絶望し、堕落し、その中でも唯一よりどころとなる人間関係に寄りかかり、それ以外を忘れるために(あるいは仲間でいるために)ドラッグをやりまくる、そんな日常です。行き場もなく、ただ目の前の生をやり過ごすための日常。
一方で、世界はひとりの人間の絶望とはまったく関係のないところで動いており、それはつまり感情とは対照的な客観性の世界であり、監視カメラの映像であり、それらを利用する組織です。この映画が素晴らしいのはこうした大きな組織、あるいは力と、個人の感情、日常、世界をひとりの主人公の精神的な分裂を通じて描いた点です(もしくはその反対)。世界における問題は、個人の日常においてより精神的で、感情的な問題となります。
では人間の感情をコントロールできるかどうか、あるいは、コントロールされたときにどうなるのか。今作でもっとも恐ろしく、鮮烈に思われるのは、「自分の決定である」と考えていることのいくつが本当に自分の決定であるのか、おそろしく曖昧であるということ。いつから私はこの考えにとらわれ、それを自分のものとし始めたのか、あるいはいつから私は「私」であったのか、私は証明することができないのです。そして、それは自分ではどうしようもないくらい大きな力によって「あらかじめ決められ、そのように促されていた」のかもしれない。
監視社会の疑心暗鬼と、恐怖と、絶望が、これほどうまく描かれた映画はなかなかないのでは、と思います。