好きな人にはちゃんと好きだって伝えたいんだ。

その人のどんなところが好きなの?って言われると、「えっとね、頭がよくて、優しくてね、あとね、それでね、話してるところもかっこよくて、全部かっこよくて、だからとにかくかっこいいの!」という女子小学生並みの回答しか導き出せない私ですが、それでも間違いなく好きなんだっていうことはわかるだけに、毎回頭を悩ませております。
そんなわけでいったい「好き」ってなんなのさ?っていうのをここらでちょっくら棚卸しとくかっていう。


いやそもそもなんでそんな話になるかというと、先日友人のプライベートustにお邪魔して三浦大知について話したんだけど、とにかくダメだししかしてなかったような気がするわけで、いったいどうしてそんなことになったのかと思いまして。かなりファンであることは間違いないのに、好きだと素直に言えない…っていう…。このひねくれ者がっ……!
まあ一つには「えーっ三浦大知なんか好きなの」みたいな、こうアイドル好きに対する軽蔑目線に自分が耐えられないのですが、そこは自分もいい年なので「おうよ好きだよ悪いかてやんでい」くらいでいなしていってですね。もうひとつが、彼に対する期待値がめちゃくちゃ高いというのがあるっぽい。ダンスのクオリティがあんだけ高いんだから歌もっと頑張れるだろう、ここで満足しちゃだめだろう、もっと完璧目指せるだろう、もっとファンに魔法かけられるだろう、という。自分がころっと騙されたい欲求が高いので、それができそうな彼にはもっと頑張って頂きたいわけです。こう、まだ半笑いで「実はさぁ、三浦大知っていう人がいてねぇ」というふうにしか人に勧められない自分をもっとやっつけてほしいという。まだまだいけんだろ、醒めたヤツも完璧に騙して、ノックアウトしてくれよっていう。贔屓目にみてすげーな、内輪で盛り上がってる、みたいなんじゃなくて、全然違う領域の人間にも「なんか違う」と言わせるような、そういうところを目指してほしいとけっこう本気で思うんですよ。それできると思うんですよ、三浦大知は。しがないいち平民がえらっそうに言うことじゃないとは思うんですけどまあ、そういうことかなーと。


で、三浦大知について考えているうちにいままで好きだった人のことを思い出したりして、好きってなんなんだろなーと。


とにかく好きなひとのどんなところが好きなのかな〜って考えれば考えるほどよくわからなくなっていって、しまいに嫌いなところばかり列挙し始めてしまい、自分は本当にこの人のことが好きなんだろうか…と思うことがしばしばです。これは私がひねくれているからっていうより、やっぱ恋する乙女は多かれ少なかれみんな一緒じゃないかなと。


だって、好きっていう感情というか状態って、全然理性的じゃないんだもの。冷静に説明できるわけがない。


誰かが好きっていう状態って異常な状態で、やっぱり普通じゃないと思うし、恋の病ってな言い方もあるとおり、けっこう本気で病気じゃんねと思うんです。治療すべき。けど、つける薬がないっていうか、要するにどういう理由で誰かが好きになるのかってよくわかんない。そのむかしビビビっときたとかこないとか言った人がいましたが、あれはまさしく言い得て妙ってやつで、「あ、きたわーこれ」っていう瞬間がどっかにあるんですわよね。んで症状が進行してずーっとその人のことをつけまわしているうちにその人のことをよくわかっているような気持ちになっていっちゃって、こんだけ好きなんだからあいつも私を同じように見るべき、っていうなんかある種の独占欲というか強迫観念みたいのが湧いてくる。ここまでいくとけっこう重症。実際はんなわきゃねえっていう。
でまあ病気なので、好き!っていうときにちゃんと好きって伝えておかないとその後延々とこじらせたまま引きずってしまうことになるので、私は好きな人には必ず好きって伝えることにしています。もうこれ以上ないくらいうざい仕方で好きだ好きだ好きだ好きなんだー!って伝えるのでたぶんたいていの相手は若干引いてると思うけど、でもしょうがないです。恋の病なので。その節はご迷惑をおかけした皆様にはこの場を借りてお詫び申し上げます。そういう意味では、アイドルって手が届かないだけにいい感じに距離を取れて都合がいい夢を見せてくれるんだなーと妙に納得したりもします。


恋の病は恋の迷いだと思っており、大抵の場合、誤解とか勘違いだなーって思っています。それが何かのきっかけで暴走してしまって、醜い奇形のような姿になって自分を食いつくしてしまう。私は何度もそういうのを経験して、何度もいやだな、醜いな、みっともないなと思ってきたのに、それでもまた恋をすると同じことを繰り返してしまいます。自分でコントロールできない、つかしたくないっていう状態。もうこういうのほんと疲れるしやめたい、と思いながら続けてしまう。ある種の依存。
それでもまた誰かを好きになるんだからおかしいよなーと思います。


今はパートナーがいて、非常に落ち着いた日々を送っているんですけど、これは以前の私では考えられない状態だなと時々思います。同時に、一人のひとと長く付き合うからこそ得られた状態でもあるわけで。


恋は一瞬の花火で、とにかくぶわーーーーっと盛り上がって目の前がバチバチってスパークするような激しい感情のうねりで、ああ、もう私一生この人についていくの!絶対離さない!っていうわけわかんない支離滅裂状態なわけですが、五年も十年もそんな状態が続くわけがない。いや続いている人がいるならそれはそれですげーなと思いますが。そうなると、じゃあ素敵!!!って思うようなところばかりじゃない一人の人間とどうやって長く付き合って行くか、という方向に思考が切り替わらざるをえない。無理、だからやめるってんじゃなくて、大変だけど一緒にやってくためにはどうしたらいいかって考え始める。
最初はそのすり合わせがうまくいかなくて本当に大変だと思います。どこまで妥協したらいいかわかんないし、一人のときより自分自身の時間はなくなるし、お金の問題なんかも二人で解決しないといけなくなる。自分のものじゃない責任まで自分のものとして引き受けないといけなくなる。でも、そこを乗り越えると、つねに恋愛に対してオープンな状態だったときには考えられない平常状態がやってきます。
これは完全に私の場合に限りますが、自分が何か新しい勉強を始めようと思う時に、もう恋愛のほうに気を回さなくていいっていうのは本当に楽。今までは環境が変わるたびに次の恋愛のことばかり考えてきて、それはそれで刺激的ではあったけど、そのためだけに自分の限られた時間を膨大に費やしてきてしまったという実感があります。これがないと今の私には至らなかったけど、もうこれがないんだと考えるだけで気持ちが穏やかになる。
好き好き大好きちょう愛してる状態を抜けても、誰かのことを好きだと思える時期っていうのは訪れるし、それはスパークみたいな明るい火花じゃないけど、ストーブの中で燃えている薪みたいに温かく自分の生活を照らしてくれるものなんだっていうことが言いたかったです。私は結婚三年目ですが、今でもオットにしばしば好きだ愛してるアイラブユーと言います。ときどきうざがられていますが、まあのろけ話ですかそうですか。


というわけでまとまらないけど無理矢理まとめると、好き、はどう考えても異常な状態で、正直楽しいだけじゃなくてしんどいこともいっぱい連れてくるし、ほんと疲弊してしょうがないことが多いけど、それを乗り越えてからわかることもある。だから、やっぱり好きっていう気持ちには正直でいたいなと思うんです。ってかんじです。


そんなわけで私は来年も三浦大知を応援します!とりあえず年末のライブ頑張ってください!とここでつぶやいておきます。