Alexander McQueen 1999 SS

ひとにすすめられて、アレクサンダー・マックイーンのコレクション動画を漁っている。確かに、洋服のデザイナーというより、舞台監督という感じだ。どのショーも趣向が凝らされている。中でも目を奪われたのが、この動画。

ロボットアームによって着彩されていくパフォーマンスを最初に見たときは、「ショーでこんなことができるなんて!」と鳥肌がたつくらい興奮したのだが、何度か見るうちに、嫌なものが込み上げてきた。今は、見ると複雑な気持ちになる。
もし、中央に立つシャロム・ハーロウがあれほど狼狽していなかったら、何も感じなかった。戸惑いと驚き、衝撃を表現せよ、というオーダーだったのかもしれない。だが、ペイントが終わってふらふらと立ち去るモデルを見ながら、私の中にはそのオーダーに対する嫌悪のようなものが湧きあがった。なぜ、彼女にそういう演技を要求したのか。なぜ、彼女は狼狽しなければならなかったのか。
このショーはエロティックだ。そして、嫌悪の根はたぶんそこにある。私はそこに性的な示唆を見てしまった。無機質なロボットに嬲られる美しい女性、を見てしまった。気付かなければよかった、と思う。なぜ自分が興奮したのか気づかなければ、たぶんこのパフォーマンスにここまで嫌悪を抱かなくて済んだはずだ。気づいてしまった今では、この光景が公開処刑に見える。
一方で、ショーなんてもともと見世物じゃないか、という気持ちもある。グロテスクで、恐怖や興奮を喚起するものじゃないか。マックイーンのショーはそこに戻っただけじゃないか。
だとしても、そこにファッションという仮面を取りこんでいる限り、私はやはりこのパフォーマンスに微妙な気持ちを抱かざるを得ない。これがコレクションの舞台ではなく、演劇の舞台なら、もっと言えば、路上のパフォーマンスなら、観客は拍手できるだろうか。私はこのパフォーマンスから、ショーにおける隠ぺいされた淫靡さ、暗く湿ったエロティシズムを感じずにはいられない。