ウラジミール・ナボコフ『ディフェンス』

緻密な描写と構成によって組み立てられた、精緻な構造物であり、同時に、美しいとさえ言えるほど勇敢で哀切な物語。


こんなに結末が来ないでほしいと願った小説はなかったし、最後の数章を読み進めるのは辛い作業だった。なぜなら著者は前書きでその結末をすでに明らかにしていたからで、要するに物語は詰めチェスと同じ構図を最初からとっていた。
ルージンは死に向って直進している。自分に与えられたいくつもの可能性を何度も見返しながら、それでも真っすぐに。不器用な有様、自ら幸せを勝ち取ろうと意志によって(けれど意志とは関係なく)死に突き進んでいく有様は、ほとんど直視できないくらい痛々しい。彼がそれを最善の選択だと信じていたからこそ、その結末を見ることが苦しい。


だが一方で、私は作者であるナボコフのやり方に感嘆してしまう。

私たちは自信を持って選び取った答えが正しいかどうかをよくしらない。正しいと信じ、あるいは正しいことになるようにあらゆる可能性の中から一つを選びとるのだけど、本当にそれでよかったのかどうか、最後の瞬間になるまでは結局よくわからない。
ルージンも同じだ。ルージンにとっては、注意深く駒を進めていく中で最終的にゲームの放棄として選び取った最後の選択、自殺という選択は、実際には作者によって道をつけられた、詰めチェスの最後の一手であって、残念なことにまだゲームの中なのだ。
ルージンは作家によって設定されたプロブレムの中で、自殺を運命づけられたキングだった。でも、その結末に収束していくからこそ、ルージンの世界は美しい一致を描くことができる。ナボコフとは何と残忍で、巧妙な作者であることか。


そしてそれでもなお、この物語からは全編を通じて作者の言う「温かさ」が感じられる。

それは作者がルージンに伴侶を与えたことでも、そのきらめくような子供時代の思い出を与えたことでもない。むしろ、最後までもがき続けるルージンを決して目をそらすことなく、僅かな空気の震えさえ逃すまいとして描きつくしたことの中に、そのルージンが滑稽なまでの勇敢さで自分を支配する力に立ち向かっていくことの中に感じられる。


自分ではどうしようもない力、逃げることすらできない絶対的な支配の中で絶望することを、これほど美しく悲しく正直に書ける作家を私はまだ他に知らない。


ディフェンス

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