日本には、いないけど。

朝から晩までニュースを追い続けている。手に入る情報からみると、福島の状況はどんどん悪くなっている。地震津波による直接の影響も、かなり酷いようだ。ここにいてさえ、ダメージを受ける。日本にいる人は、まして被災した人々はどれくらい大きな苦しみを受けているのだろうと思う。
状況は好転していない。災害はいまだ続いている。そしてたとえそれを乗り越えても、いま日本が受けているダメージから回復するには相当の時間がかかるだろう。
日本でいま起こっていることに対して、私は完全に無力だ。何もできない。私の流す情報がいくらか役に立っているだろうか。否。少なくとも被災した人にとって、何の役にも立たない。被災した人には食べる物が、着る物が、安心して眠れる場所が必要だ。私はそのいずれかに、貢献しただろうか。否。原子力発電を安全に停止させることに貢献できるだろうか。否。できることはない。無力だ。無力だということを、私はいま、ちゃんと引き受けなくてはならないのだと思う。受け入れ、打ちのめされなくてはならないのだと思う。一人の人間がいかに無力で、ちんけな存在かということを。いかに弱く、あっというまに消えてしまう存在かということを。私に与えられている生命というのは、それだけでは、何もなすことができないのだということを。
でも、私には与えられている状況がある。環境がある。私の生命がどれほど弱弱しく無力だとしても、私にはこの環境を使うことのできる状況が、幸いにして残されている。生命としての私がこの環境にいま存在していることはまったくの偶然だ。だが、もし使命というものがあるのだとしたら、それは、この偶然から生まれた状況を、無力感のせいにして放ったらかしにしないで、制御することだと思う。いまある資材を把握し、適切に配分し、処理することだと思う。悲しみに、絶望に、無力さに、打ちひしがれたあとに残る理性で、私はそれを可能にできるはずだ。自分に出来ることをするというのは、行動を起こすということは、そういうことだと思う。それがどのようなことでも、それが私に、あるいはあなたに、できる唯一のことだ。威張ることでも、卑下することでもない。ただ行うだけだ。