今回の世界選手権が楽しかったワケ


USTでの配信を終えたら、なんだかどかっと疲れた。素人ではあるが、素人なりに労力を使ったわけだ。
それにしても今回の観戦は、ほんとうに楽しかった。現地観戦を心から楽しめたのは、実はこれが初めてではなかったかと思うほど、楽しかった。なぜか考えてみた。(こういうところが文系中二女子っぽさから抜け出せない点であり残念であるがまぁそういうものなので仕方ない。お付き合い願う。)
そもそも、私は一人で観戦に行ったことがなかった。これまでずっと、誰かしらと一緒であった。あるいは、誰かしら知人がレースに出ていた。私は彼ら彼女らに頼りっぱなしで、自分でレースを楽しもうという意気込みにかけていた。別に、楽しくなかったわけではない。むしろレースにいくのが楽しみでしかたなかった。けれど、その半分ほどは、友人たちと会うという目的によって達成されていたような気がするのだ。
翻って今回のレース観戦では、私は知人と呼べる人間を誰一人身近に置かずにたった一人で、まったくの見知らぬ土地をうろうろした。いつもなら、それほど得意とは言えぬドイツ語の壁や金銭的側面を理由に観戦をやめていただろう。しかし、今回とにかくまずレースが見たかった。世界レベルのシクロクロスと言うものがどういうものなのか、楽しみで楽しみでしょうがなかったのだ。だから、辞書をひきひきチケットの予約や情報集めを行い、どうにか旅行を一人で組み立てた。一人でやるしかなかった。というのも、オットは現在調査の為に帰国中だからである。そして身近にいたレース好きたちはなぜかことごとく用事で行けなかったのである。そんなわけで、とにかくひとりですべて手配し、当日の行動もすべてひとりでコーディネートするほかなくなった。思い返してみると、これが大変よかった。
なけなしのドイツ語の知識を総動員してみると、ドイツ語のサイトというのはそれほど恐ろしい怪物ではないということがわかった。そして当日駅員と話したり会場の係員や観客の話を聞いたり、場内実況を聞いたりして、案外自分が聞きとれるという事実に気付いた。まず、これが最初の自信になった。言葉が通じる。わからなければ、誰かに聞くことができる。
言葉がわかると、情報を得ることができる。片言であっても、明らかに土地の人間ではない私に人々は想像以上に親切であった。おそらく英語話者も多いのだろう、ドイツ語でダメとなれば英語でも話してくれる。それによって、私はレース会場について、そして仕組みについて多くの情報を得ることができた。充分とは言えないが、必要な情報は得られたのだ。
そうやって情報を得ながら、これまでの観戦で少しだけ持っている経験を用いてあちらこちらとコースをうろうろしてみると、今度はトップレーサーたちが熱い戦いを繰り広げている。大の大人がぬかるみに足を取られて転んでいる。どろんこである。どろんこでありながら、なおも必死で走り続けている。可笑しいのを通り越して感動してしまった。ほんとうに必死なのだ。彼らにとっては死活問題なのである。それに無責任にヤジを浴びせる観客たち。もちろん私もそうだ。いろいろな歓声を聞いた。アレアレ!やらホップホップ!やらである。みんな思い思いの言葉でやってるようなので、私もかまわず日本語でやることにした。いけいけ!である。
そうやって身勝手に応援しながら、思いついたことを録音し、写真を撮り、動画を撮り、しているうちに、心底楽しんでいることに気付いた。言葉の壁も、見知らぬ土地も、見知らぬ人々も、関係なかった。私は純粋にレースを楽しんでいたし、そのレースを見られることを喜んでいたのだ。そして思い出として記録を残したいと願い、多くの記録を残した。私は集中していた。どこにいけば面白い場面に出会えるか、どう話せばこの気持ちを残しておけるのか、考えた。走った。そして笑った。楽しかった。心底面白かった。レースを楽しむことにおいて、誰も知らないということが、これほど自由で集中できる環境を生むとは思わなかった。実に愉快だった。
一人であることは、効率が悪い。助けあえないし、代わりがきかない。けれど、それ以上に私は一人であることの自由を感じていた。特にレース観戦という場において、それを楽しむということにおいて、身勝手に動けるということは重要なことだと知った。見たいものを見て、聞きたいことを聞く。さまざまな観戦スタイルの中で、それが最も自分に合っているということを、私はついに発見したのだ。
もちろん、それを発見できたのは、レベルの高い大会だったからだということも、オーガナイズがよい大会だったからだということも、可能だ。そして、それは真実の半面であると実際に思う。期待を裏切らないレースをする選手がおり、期待を裏切らない波乱を起こすコースがあり、その波乱を楽しめる環境がある。さらにそれを楽しみにくる観客がいる。どれがなくなっても、この興奮は成立しない。どれも必要なのだ。私が自分のスタイルを発見することができたのも、ひとえにこうした環境がそろっていたからに他ならない。
そう考えると、なんと幸運だったのだろう。私はこのレースに行っていなかったら、もしかしたらシクロクロスという競技の楽しさも、世界選手権という大会のすごさも、知らぬままだったかもしれない。そしてその幸運だったという思いが、また私の思い出を鮮やかにするのだ。私は人生において、この観戦の思い出を忘れることはないだろう。こうして改めて振り返ってみれば、ブレイクスルーと呼んでもいいかもしれないくらい大切な経験になった、このたびの世界選手権だったわけである。ありがたや、ありがたや。