論文を書き終えると

論文を書き終えると鬱になる、と友人が言っていた。オットもそうらしい。私にはその感覚は理解できなかったのだが、12月にはいってから長いメールや長い日記を書いてみて、すこしわかったような気がする。
ひとつは、書いてしまった、世の中に自分の見解を表明してしまったという後悔。
もうひとつは、その見解を見直すとあまりいい出来ではないというがっかり感と反省。
そして、にもかかわらずそれよりいいものを書くのはけっこう難しい(一応最善を尽くした)という現実、つまり実力の露呈。
そうか、自分にはこれくらいのことしか書けないのであるなぁ、という、静かな悲しみが襲ってくる。書きたいと思ってること、こんなものなのかぁ、と。どうも彼やオットの話を聞いていると、その他に「書きたいことが書ききれなかった」というフラストレーションが残るらしい。私には、そういう感覚はない。とりあえず書こうと思ったことは書いた、という気持ちになる。ただ、いざ書いてみると、なんとささやかなことを考えているのだろう、とがっかりしてしまった。
だいたい、まずシンプルに書けない。整理されてないからだ。だが整理してから書こうとすると、書きたいと思っていたものを忘れてしまう。結果、書きたいと思っているもやもやとした形なき峰を遠くに眺めながら登ることになる。しばしば、気付くとその峰を見失って迷子になってしまっている。登り切ってはみたものの、違う峰だったこともある。
いまだってもっと短く書けるはずのことをこうして、もう数段落費やして書いている。やれやれである。
鬱になればいいというものでもないが、近頃自分の書いたものを手放しに称賛しなくなってきたのはいい傾向だと考えたい。何を隠そうこれまでは、自分の書いたものしか面白くないと思っていたのだ。笑いたければどうぞ笑ってください。馬鹿もここに極まれりというお話。