ミュンヘン一日目

ミュンヘンへ》
朝早い列車に乗るのに早めに起床。お弁当のサンドイッチ作ってAltstadtの駅からDBに乗車。
隣のホームにはこれから自転車と一緒に乗り込もうって人もいたり。


乗換はHeidelberg-Hauptbahnhofで一回だけであとは乗りっぱなし。時間にして3時間半くらい。ところが、この電車が今回はやたらに混んでいた。結局座れたのはUlmを過ぎてから。それまで通用口のあたりに貧乏旅行よろしく座り込みをキメていたので帰りは予約しようと誓い合う。
狭い通路だし本を読むこともできなさそうなので、オットと二人で少し変わったしりとりをして遊んだ。通常のしりとりに「共通の範疇に属するもの」というルールを追加したのだ。これがけっこう難しいゲームになって思ったより遊べた。
座ってる間にちょこちょこ写真撮ったり。

水はもちろんゲロルシュタイナーっすよ!

ものすごい量のごみをすてるピクトさん


さてUlmから座席に座ると前のポケットに大量のビール瓶。

ドイツ人飲みすぎだろどう考えても。昼間からビールを飲んではばからない国だと思われるぞ。いやはばかってないけど。
定刻通りMeunchen-Hauptbahnhof着。ミュンヘンは二度目。一度目は2003年の3月だったから、もう7年ぶり。


《ピナコテークへ》
ホテルのチェックインが14時以降で、ミュンヘンに着いたのは12時半ころだったから、まだチェックインまで時間があった。どっかでお茶してもよかったのだけど、元気だったので先に中央駅から歩いて10分ほどのピナコテーク(Pinakotheken)へ向かうことにした。
道中、自転車の安全講習みたいなイベントもやってて、ああんやっぱりチャリ持ってきたらよかったやんと思ったりも。ミュンヘンは都会だけあって、道幅も広くて自転車乗りやすそうなのよね。



で、まずはAlte-Pinakotek。ピナコテーク三館共通の1日券(12ユーロ)を購入。アルテの方には今回初めて入ったのだが、とにかくその膨大な収蔵作品数に圧倒されまくり。14〜18世紀の作品を中心に、ドイツ、フランス、イタリア、スペイン、イギリスの絵画を収蔵展示している。
一階はほぼドイツ絵画。冒頭部分はブリューゲルのコレクションが充実。ブリューゲル、美術の教科書くらいでしかお目にかかったことがなかったのだが、けっこうシュルレアリスティックというか、グロテスクな絵も描いてるのだなとわかった(ヒエロニムス・ボスみたいな感じの)*1
しかし圧巻はやはりイタリア絵画のコレクション。特にルーベンスが素晴らしかった*2。そこだけ空気が違う。写真にしてしまうとまったく伝わらないが、とにかくものすごくダイナミックなのだ。とはいえ、少し撮って来たので片鱗だけでも。




体の動きと筆の動きのシンクロ、絵画そのものの大きさ、色彩、すべてにおいて「比類なき」という表現がこれほど似合う作品、画家も珍しいと感じました。完全に他を圧倒してしまって、ファン・ダイクの静謐さもルーベンスの前ではかすんでしまうほど。イタリア絵画のコーナーには他にもリッピ、ダ・ヴィンチラファエロ、など有名どころが一堂に会していた。
蛇足のような写真たち。



全体の印象では、13〜15世紀はどの国の絵画も一様に、非常に平面的かつ宗教の色が濃く、イタリア絵画は16〜17世紀に完成と全盛期を迎えてあとはほぼ惰性。ドイツ絵画はしばらくの間技術が未熟なままで、平面性から抜け出せない。フランスは昔から乙女趣味炸裂。といったところ。
イタリア絵画がかなり早く、14〜15世紀に遠近法を確立させていたのには驚いた。同時に線での描写から、面、立体の描写へと勢いよく展開している。絵画の平面における立体の描写をとことんまで追求しようと急速に発展していったことがよくわかるのだ。そして、引きずられるようにして他国の絵画もイタリア絵画に倣っていく。強力な経済的後ろ盾(メディチ家のような)があったことも予感させる。16〜17世紀にイタリア絵画は技術的にはある頂点に達したと言っていい。平面における立体の描写、イコンとしての絵画、装飾としての絵画はここで完成し、あとはその形式を崩壊させていくだけとなる。特に後でノイエの方で見た18世紀以降のドイツ絵画の色彩の明るさは、暗い時代の終わり(実際、それまでのドイツ絵画はずっと暗い)を告げていたが、同時に、絵画そのものとしての面白みを失ってしまっている。技術的な高みへ上りつめてしまった絵画は、その先どのように進んでいくのか、考えあぐねているように見えた。


さて、アルテの収蔵作品があまりに膨大だったので、くたくたに疲れてしまい併設のカフェでお茶することに。

このカフェがよかった。コーヒーは2.2ユーロ、ケーキも3〜4ユーロとお手頃で、ドイツサイズ。ケーキがとにかくおいしかった。私はBanaffeeというバナナのタルト、オットはイングリッシュチーズケーキをいただいたのだが、ドイツに来て初めてまともにケーキを食べたと思えるほどおいしかった。おすすめ。見た目は地味。

足を休めて糖分も補給したので、続いてNeue-Pinakothekへ向かうことに。


ノイエでは18〜20世紀初頭までの絵画を展示。ドラクロワクールベ、あとはこんな模写も。

誰の模写かわかるだろうか。
実は、ルーベンス。作者はヴィルヘルム・ライプというひと。


もちろん、おなじみのいわゆる世紀末絵画、マックスやベックリンクリムトにシーレも。
関係ないけどオノレ・ドーミエがお気に入り。



他に印象派のマネ、モネ、ゴッホドラクロワにゴーガン、セザンヌ、などなど。
これはゴッホのひまわり。


膨大な絵画の歴史の中では、ゴッホでさえ必然的に見えるという経験を初めてした。彼は非常に正統的に絵画史を受け継いだ1人なのだと感じざるを得ない。片田舎で発酵してたと思ったら、実は大本命でしたみたいな感じだろうか。
さて、アルテでさんざん宗教的な、あるいは記号的絵画を見せられた身としては、ノイエに収蔵された作品たちの表面的な絵画が非常に楽に感じられたことは否めない。絵画が何かを写すことから離れたときに、現代絵画の下地が作られたのだろうと、この流れの中では素直に思えた。絵画は立体の再現でも、何かの写しを描きとるものでもなくなったときに、そこに構成されるものとしてのみ理解されるようになっていくというわけだ。
それにしても、近代において絵画や芸術の喪失や崩壊を嘆いた評論家たちの気持ちが、今回ばかりは良く分かった気がする。17世紀の絶頂を見たら、今の絵画がおもちゃ遊びのように見えても仕方ないからだ。とにかく絵画は、いわゆる平面芸術はこの先どうするんだろうということばかりが気になった。
また結果的にではあったが、膨大な量の作品を見ることでしかわからない、時代ごとの違い、国ごとの違い、手法の確立と衰退、絵画史における流れを理解できたのは貴重な体験だった。とにかくつべこべ言わずに膨大な量の作品を見ると言うのは(細部がとぶ危険性はあるにせよ)大事なことなのだ。
蛇足だけれど、ショップでクリムトとシーレの手ごろな画集を発見!気に入ったものがなかなかなかったのでこれは嬉しい。ハガキいくつかと一緒に購入。


《夕食をたべる》
ピナコテークをややぐったり気味に後にし(あまりに記号的な空間に身をさらしすぎたのです)、ホテルへチェックイン。ちょうど18時頃だったので、夕食と散歩のために外出。市街地のビアホールにてビールとソーセージ。
こんなところでした。

ビールは思ったよりふつう。ソーセージはミュンヘン名物のヴァイスブルスト、あとは個人的に食べたかったレバーケーゼを。

ヴァイスブルストは皮をむいて食べるタイプのソーセージで、甘いマスタードをつける。どうやら蜂蜜が入っているらしい。酸味と甘み。想像するとげーって感じだが、意外とおいしいのだ。ぶらりと散歩してホテルへ戻る。途中で、回転寿司の店を発見したのだが、寿司は止まったまま動かなかった。

二日目へ→ http://d.hatena.ne.jp/asukakyoko/20100525#p2

*1:ブリューゲル、てっきりドイツの画家だとおもっていたら、フランドルの画家だったようだ。

*2:さらにルーベンスはイタリアの画家だと思ったら、やっぱりこの人もフランドルの画家だったという。フランドルって画家の多い土地だったのか。