なまもの

生きるというのは案外難しいなぁと最初に思ったのは、たぶん小学5年生の頃、曇った空をみながら高校受験のことを考えていたときだった。このまま何事もなく成長していけば、いつか私も受験というものを経験し、落ちたり受かったりすることになるのであろう。それはとても面倒だし、心臓によくないし、胃にもよくなさそうなので、できれば避けてとおりたいけれど、まあ、そういうわけにもいかんのだよなぁ、という、ある種の諦念を伴っていた。そして、ふつうの人間として生きていくのはなかなか、しんどいことであるのだなぁと思ったのだ。
正直な話、私は高校受験を一種のエンターテイメントとして捉えていたふしがある。非日常の謳歌。なにか、私を高い高いところへ連れて行ってくれるような気がして、気持ちがうわずっていた。うわずった気持ちのまま10代を過ごし、こんなはずじゃなかったと20代前半をすごし、もういいやという気持ちで今を迎えている。いつのまにかここまできてしまったというのが、今の気持ち。
小学生になったとき、父には、お前はおれのあぐらにすっぽり収まるくらいだったのに、いつの間にかもう全然収まらなくなってしまったなぁ、と言われた。大きくなったもんだという話。そうだ、私は特別なことはなにもしなかった。特に勉強が好きだったわけでもないし、特に習い事が好きだったわけでもない。特に食べることが好きだったわけでもないし、寝ることが好きだったわけでもなかった。私はたぶん、すこし退屈していた。そしてそれでも私の体はどんどん大きくなって、私の年齢は一年一年増えていった。
何もしなくても、子どもは育つ。私は、私自身で、私のために、何かしたという気がしない。両親は、正反対で、きっと多くの手を掛けて私を育ててくれた。けれど、問題は、私が私のために何かしてあげているかどうかということなのだ。
何もしなくても、人間は生きられる。何も考えなくたって、思想がなくたって、信念がなくたって、ごはんを食べて排泄すれば、人間は生きられるのだ。でも、私は自分の産んだ子どもが夢も志も思想も信念もなくごはんくって排泄してるだけの大人になったら、正直泣くと思う。泣くだけじゃなくて、情けなくてその子を殺してしまうかもしれない。でも、それでもその子はその子の命で生きているのだし、私も私の命で生きているのだ。だから、私がその子の命を奪うことなんて、ましてや私がその子の生き方に何かを言うことなんて、できない。
どうにかできるのは、かろうじて、この私の生き方だけで、それなのに、それすら、ままならない。私は、私というひとの生き方を許すこともできるし、許さないこともできる。私というひとの生きる道をもっと別のところへ持っていくこともできる。でも、全方位に虚無を抱えたままでは、私はどこへも行くことができないのだ。それはただ食べて寝て排泄するだけで生きているのと変わりない。
私はいま生きているし、それを止めようとは考えていない。だからまだ生きるだろうし、事故がなければ60歳くらいまでは確実に生きるだろう。それでも私というひとが生きたことにはなるのだ。ただただ生命を生き長らえるというだけの意味で。
でも、生きるということにそれ以外の意味がどれくらいあるのだろう。私はもう、私というひとに対してそれ以上の意味を与える気持ちを失っている。
ただ、もし、私ではない誰かが、私というひとの生きる様子に不快さを感じたり、そのせいで滅入ったりすることがあるのだとすれば、たとえば私の両親が私に信念のないのを恥じて生きるのだとすれば、私はそのために生き方を変えるかもしれない。私に我はない。私は、私というひとの手助けをする他人のひとりに過ぎない。そして私は、その他人の中でももっとも期待の薄いひとりだから、結局、私は私以外の他人に、私というひとの道行きをゆだねているにすぎない。
生きるということは乗り越えた。私は生きている。そしてこれからも生きる。
次の問題は、その生きることをいかによくするか、ということにある。存在論の次の、倫理。


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それにしても、こんなふうにしないと先に進めないというのも、めんどうだ。めんどうだけど、いつかやらねばならない作業なのかもしれないし、そんなことはしなくてもひょいひょいと先に進めるひともいるのかもしれない。そんなこと、私、知らないし。日常の悩み事に溺れているときが、一番しあわせなのかもしれない。ほら、上司が役に立たないとか、そういう、たぐいの。