たす、ひく

ナイーブさを失った、鈍感になった、生きやすくなった、幸福・感が増大した、社会化された、人当たりがよくなった、生産性があがった、未来が明るくなった、絶望しなくなった、あるいはときどきになった、など。
ナイーブで、自意識過剰で、自分は不幸で頭が良いとうぬぼれていた頃を振り返って、わたしは大切なものを失っていないかときどきおそろしくなる。わたしは大事なものを忘れていないか、考えている。わたしは世界をみることができるようになったかわりに、わたしを失ってしまったのではないかと、ときどき思う。そんなことはないと否定することも、どこかうわのそらだ。おそれはいつも肯定のすぐ裏側で、まっていて、じっとこちらをみているから、わたしは目を合わせないようにするのに精一杯なのだろうか。
ちがう、はずだ。その暗闇は、かかとのすぐ下にあるとしても、わたしはいつも乗り越えてきたのだから、たとえおそれがわたしを蝕むとしても、自分の一歩を信じることができる。
願いではなく純粋な可能性の問題。