平凡である

周りのものに関心のないこどもだったと思う。常に緊張し、自分を傷つけるものがないか、用心する一方で、自分以外のものへの関心が極端に薄かった。世界はときどきしか浮かび上がってこなかったので、私はずっとぼんやりした中で過ごしていた。はじめて世界が鮮明に見えたのは、ぼたんの止め方を覚えたとき。自分の心地良い状態を自分で作り出すことができるようになったとき。こうすればいいのだと理解できたとき、私は世界が一気に鮮明になるのを感じた。
泣き虫だった。何か、気にくわないことがあれば泣いた。泣けば誰かが慰めてくれ、私の方を向いてくれると思っていたからだ。よく勉強した。教えてくれた先生に申し訳ないから、テストで良い点をとれるように努力した。スカートが好きだと言われたら履いたし、長い髪が好きだと言われたら伸ばした。音楽の趣味はどんどん変わって、自宅には雑多なジャンルのCDが氾濫していった。
私自身への極端な関心と、その関心を共有してくれる他者の渇望が、私を取り巻いてきたのだ。ずっと、ずっと、今も。
私の視線と、他者の視線とがひとつになることを、それだけを望み、あるときは他者の視線を私のものとすることで満たされ、あるときは私の視線を他者に強要した。幸福な一致はなく、常に脅迫的な関係だけが私と他者の間で哀しく取り残されてきた。
それが今でも、すべて解決されたわけではない。ただすくなくとも、のれんの向こう側には虚無ではなく世界があるのだということはわかってきた。そしてそれはひとりではなく、誰かとでなくては確かめられないのだということも。


というわけで結局なんの話かといえば、本日入籍いたしました。