写真を撮るのが苦手

カメラを初めて手にした頃から、写真を撮るのが苦手だった。私が初めて手にしたカメラは、ニコンの初心者向けの一眼レフで、確か5万円くらいのものだったと思う。父が買い与えてくれたのだ。もう機種名も忘れてしまった。(ちなみにそのカメラは現在父の手元にある)その頃通っていたのがデザイン関係の学校だったこともあり、写真を撮らねばならない状況は多かった。同学年には現在プロの写真家になっている人間も多く、そうした人たちの間で写真を撮ることに緊張もあったのかもしれない。でも、それ以上に、私は誰かが見ている前で写真を撮るのが苦手だったのだ。だから、街中でカメラを構えなくてはならないとなると、どうしても長い時間カメラを構えていることができず、適当なアングルで適当な設定にしたものを適当にごまかして提出することになった。もちろん、スパルタ式にどんどん街中でカメラを構えてものでも人でも撮っていけばよかったのかもしれないが、当時の私は今とは比較にならないほど自意識過剰であり、そんな人目につく行為は間違っても続けられなかった。私は人目につくのが怖かったのだ。「あの人、一眼レフで写真撮ってる」って思われるのが心底嫌だった。
その後、ご多分にもれずデジカメへと移行(確かイクシィ)。だいぶんカメラ自体の大仰さが軽減され、自意識の減退によって街中でカメラを構えることへの抵抗は減ったが、やはり誰かが見ている場所でカメラを構えるとなると慌ててしまう。見られているということが、写真を撮るという行為を邪魔する。そう思うと、私は見ることが苦手なのかも知れないとすら思う。思い出せば、私は誰かと話すとき、あまり目を合わせない。目を合わせると話したいことを忘れてしまうからだ。「わーこのひとこっちみてる、なんか目が合ってる」ということに意識が集中してしまい、自分がいまどういう状況にいるのか考えることができなくなる。たぶん少しパニックになっているんだと思う。
と考えてみて、私は人物の写真を撮るのも苦手なんだと気がついた。何を撮っていいのかわからないという以上に、人物がこちらを見たりすると、その人物に見られている自分へと意識が飛んでしまい、「わーなんかこっちみてる、見られてる」とすっかり写真を撮ることを忘れてしまう。カメラと写真の存在がどっかへいってしまって、私とあなたの世界に突入してしまうのだ。
そんなわけで、未だに街中で写真を撮るのは苦手である。そばに誰か、私の代わりに人の目をひいてくれる人間がいる場合に限り、私はカメラを構えることができる。それでも大抵大あわてであるので、結局、撮影技術やセンスのなさを差し引いたとしても、あまりちゃんとした写真が撮れた試しはない。もうこうなったら写真を撮れない体質なんだということにしたいとそろそろ思う。