ブツ欲のはなし

昨日身近なひとと話していてわかったのだが、ブツ欲のあるひととないひとは本当にはっきりしている。私はある。身近なひとはない。ブツ欲というのは、ただとにかく理由もなく欲しいと思うきもちのことで、理由があって欲しいというのはブツ欲とは言わない。*1それがもっともはっきり現れるのは、電車の乗り換えで通るデパート群を無視して通り過ぎることができるかできないか、という局面だ。幸いなことに、現在私は乗り換えでそうした欲望のうずまく聖地を通らずに済んでいるのだが、もし通らねばならないとなれば、ほぼ確実に散財することは目に見えている。ところが、身近なひとはさっぱりそういうことにはならないという。せいぜい買っても本やCDであるといい、それはたかだか一万円くらいにしかならないだろう。しかし、私は今でこそ質素堅実な生活を送ってはいるものの、かつてサンダルに2万円出すのに躊躇わなかった人間である。*2ことほどさように洋服や装飾品というのは上限がないもので、本当に恐ろしい。うっかりしていると大変なめにあう。うっかりは恐ろしい。身近なひとはうっかりしていてもそういうめにはあわないそうである。また私はお化粧品の類も、自分でつけるということ以上に、眺めたりするのが好きであり、それ以上に、手に入れる、ということが好きなのだ。恐ろしい話である。ブツ欲は際限がなく、それはものによって満たされるからではなく、行為によってしか満たされないからであって、だから私は現在の際限ある部屋の容量を満たしてしまわないように、細心の注意を払って買い物をせねばならない。
つまりどういうことかというと、昨日二週間ぶりに行ったデパ地下で、数十分の間に散財したということである。デパートはブツ欲の聖地であって、ここに留まり続けるほど恐ろしいことはない。

*1:ということに、いまきめた

*2:あるいは八万円のサンダルでも「買えるなぁ」と考えていたことを告白すべきかもしれません。二万円というのはひとによっては大したことないと感じられるかもしれませんが、ともかく今の私にとってはたいしたお金ということです。