くびき

思い出したので書いておくと、私は長い間ずっと、自分がおかしな人間だと信じ込むことによって人格の同一性を保ってきた。そうすることが、いちばん他者との違いを認識できるからだ。「わたしはあなたとは違う」ということを、私は極端な形で表出することによってなしてきた。
それはたとえば、奇抜な服装であったりとか、奇妙な文章であったりとか、あるいは希有なキャリアであったりする。
けれども逆説的に、何をなしていても常に、私は自分がそうした人間ではないということを強く確信することになった。つまり、極端な方向へ進むたびに、私はそうした極端な人間ではないということを自覚させられてきた。けれど、ずっとそれを認められずにこれまできてしまった。
私がなぜこうした構造によって自我を保つようになってしまったのか、定かではない。それはたとえば、母親による緩やかなネグレクト*1であったりとか、極端な環境に育ったことに起因するのかもしれないが、どれが核となるものなのか、わたしにはよくわからない。
ともかく、私は自分が「ひととは違う」ことによって、またその価値を拡大することによって、自分自身を確立しようとしてきた。哲学という仕方を選んだのも、やはり「ひとがそういうことをしない」からであったし、哲学をやめた理由もまた「ひとはふつうそういうことをしない」からだったのかもしれない。
私はこれが、リストカットとどう違うのか、うまく言える自信はない。根にあるものは同じだと思う。私はいつも私をみてほしいと思ってきたし、他の誰でもない、私という人間の価値を認めてほしいと思ってきたからだ。私はあなたではない。私は私であり、他の誰でもない。
こうした意識は、私をずっと苦しめてきた。私は他の誰よりも優れていなければならず、突出していなければならず、誰も考えないことを考えねばならなかったので、それができないことは、いつも苦しみでしかなかった。特に哲学を始めてからの四年間は、苦しみでしかなかった。私は特別でもなく、素晴らしくもなく、またそれほど勤勉でもなかったからだ。楽しいことなど、おそらく数えるくらいしかなかった。私は自分自身で構築した自分自身の価値を信じることができなくなり、それは同時に、私という名前のもとに作られた人格の崩壊を意味した。私は一時的に、私自身を喪失したような状態に陥った。
それゆえ、作業はまず、私にできないことを認めることから始まった。私は一番できる人間ではなく、それどころか上位10パーセントに入る人間でもなかった。私は、この価値をまず失った。次に、私は特に個性的でもなければ、魅力的でもなかった。前者についてはすでにある程度諦めがついていたが、後者については、なかなか認めることはできなかった。私はこの期に及んで、まだ幻想をあてにしていた。しかし、この価値もいくつかの決定的な出来事によって、剥奪された。
こうして、あらゆる付加価値をすべて取り去り、それで改めて向き合ってみると、私に残っていたのは、極めて楽観的な将来観と、ごくありふれた幸福の追求だけだった。どうしても取り去ることができなかったのは、美しいものへの憧れだった。
だから私は哲学をやめることにしたし、無理な目標を立てるのもやめた。壮大な計画をたて実行できる人間ではないということを、自覚した。私にとって哲学は、「哲学をしている女の子」という肩書きのために必要な手段でしかなかったので、これ以上続ける必要はなかった。また、壮大な計画は、「非凡な人間」という肩書きのために必要な道具でしかなかったので、これも必要なくなった。大仰な学歴だけは残ってしまったが、これもやがて無用になるだろう。
結局のところ、私はごく平均的な二十代後半の女性になりさがった。しかし、私はいまとても穏やかな気持ちでいる。いまの私の体はいまの私と同じ大きさをしていて、いまの私の皮膚は、いまの私の体にぴったりとくっついている。大きく見せることも必要なければ、歪めて見せる必要もない。私は私自身の大きさを、私自身によって認めることができるようになったのだ。
このことは、今の私をとても幸福にしている。ずいぶん長いことかかってしまったが、私は今にしてようやく自分のことを認めてあげることができた。こういう穏やかな気持ちは久しぶりなので、このことはきっと、記念すべきことなのだと思う。

*1:母の名誉のために言うならば、ネグレクトという言い方はおそらく強すぎる。また彼女自身がこのことを私に告白したのであり、それゆえ私は幼い頃の「褒められない」という思い出にある程度理由を求めることができたのだった。