検索用語の用途

アクセス解析をしてないブログの方が珍しいのではないかと感ずる昨今ですが、昨日の解析を見ていたら、「形而上学的思想で遊ぶな!」というのがありました。本のタイトルか何かかとも思ったんですが、リンク先を見ても特にそういうのはないようで、一体この検索用語を入力した人は何を探したかったんだろうと、気になったわけです。だって、ふつう検索語に「!」つけますか。つけないでしょう。
で、ふと思ったのですが、これは情報を得るための検索ではなく、警告を発するための検索だったのではないか。要するに、「形而上学的思想で遊ぶな!」という警告を方々のブログに刻みつけるための検索だったのではないか。そう、これは「形而上学的思想」と「遊ぶ」にひっかかるブログを片っ端から踏破し、「形而上学的思想で遊ぶな!」というメッセージを残しまくるという斬新な脅迫、もしくは嫌がらせ、あるいは鼓舞だったのです。
これなら、「!」がついてる理由もわかります。「!」がついてるせいで、検索語としての違和感の度合いと、警告として訴えかける度合いがかなりあがるからです。さらに不気味に思ったブロガーたちが形而上学的話題を載せるのをやめるという効果も見込まれます。うーん、思いつかなかったなぁ。*1
しかしここまできて気がついたのですが、いったい形而上学的思想で遊んでいるブロガーはどれくらい存在するのでしょうか。そして、それについて苦々しく思う人はどれくらい存在するのでしょうか。おそらくすごく少ない。哲学書の初版が数千部であるということを鑑みると、ブログをやっていて、うっかり形而上学的思想に言及してしまう私のような人間は、その1パーセントもいるかどうかでしょう。とすると、その1パーセントをねらってこのメッセージを発した人物は、かなりネットに不慣れか、かなりご立腹だったかのどちらかに違いありません。そしてめでたくその対象に選ばれた私は、今後形而上学的話題に触れるときは、心してかからねばならないということなのでしょう。くわばら、くわばら。


追記:
やってしまった。検索語について書くと検索結果が変わるという自己言及的干渉をしてしまいました。今「形而上学的思想で遊ぶな!」で検索すると、一位に出てくるのは今日のこの記事です。

*1:ちなみにそんな警告を発されているサイトはこちら→「形而上学的思想で遊ぶな! - Google 検索」。わがbuches notizの恥ずかしい記事が検索結果第二位に出てくるという恐怖。ちなみにその恥ずかしい記事は、練習問題の翻訳で、しかもその翻訳が間違っているという何重にも恥ずかしい代物。