『いきの構造』

「いき」の構造 他二篇 (岩波文庫)

「いき」の構造 他二篇 (岩波文庫)

宿題で九鬼周造読んでるんですが。

媚態の要は、距離を出来る限り接近せしめつつ、距離の差が極限に達せざることである。可能性としての媚態は実に動的可能性として可能である。アキレウスは「そのスラリと長い脚で」無限に亀に近迫するがよい。
(pp.17-18)

なんなのこのいやらしさは。

しかし、ヅェノンの逆説を成立せしめることを忘れてはならない。蓋し、媚態とは、その完全なる形に於ては、異性間の二元的動的可能性が可能性の儘に絶対化されたものでなければならない。「継続された有限性」を継続する放浪者、「悪い無限性」を喜ぶ悪性者、「無窮に」追跡して仆れないアキレウス、この種の人間だけが本当の媚態を知っているのである。そうして、かような媚態が「いき」の基調たる「色っぽさ」を規定している。
(p.18)

こんなにやらしいゼノンのパラドクスの解説を読んだのは我が人生において初めてです。九鬼周造が一気に好きになりました。