セザンヌの山

メルロ・ポンティ「眼と精神」に、以下のようなくだりがある。

山そのものがあちらから、自らを画家によって見られるようにするのであり、この山に向かって画家はその眼なざしで問いかけるのである。
 だが、本当のところ、画家は山に何を求めているのだろうか。それによって山がわれわれの眼前にある山となる手段、ほかならぬそれ自身もまた目に見える手段を発見することである。光、明るさ、影、艶、色彩、これら探求の対象は、いずれもまったき意味で実在するものではない。それらは幻影のようにただ目に見えるというだけの存在をもつにすぎない。ただ、そうは言っても、これらは通俗的視覚の域は超えているので、普通は見られることがないのである。画家の眼なざしは、およそ物を突如存在せしめるには、光や明るさが眼なざしに対してどうなっていればよいのかを、それらに尋ね、また世界というこの不思議なものを組み立て、<見えるもの>をわれわれに見させるには、物がどうなっていればよいのかを、物に尋ねるのだ。
「眼と精神」(邦訳、pp.264-5)

このくだりには、レンブラントの「夜警」に関するくだりがつづき、そこにわれわれが空間を見いだすということの分析が描かれるわけだが、それは置いておいて、以上の部分はセザンヌの解説として非常に面白い*1。あるいは、常識的だと言うべきだろうか。
私の生半可な美術史知識から言えば、セザンヌは物をキャンバスの上で描くということを、それまでとは全く異なる意識の下で行った人だった。あるいは、描くことの意識を顕在化させたと言うべきなのかもしれない。彼の手法が「構成」と呼ばれるのは、そのためである。彼は、セント・ヴィクトワール山を彼に取り込み、一度分解し、キャンバスの上にもう一度組み上げる。そうしてできあがるのが、セザンヌのセント・ヴィクトワール山である。今ではもう、写実的にすら見えるその山は、だがそれまでは存在しなかった。それはセザンヌに描かれることによって存在し始めたのであり、画家は、その目によって、山の有り様を現前させたのである。
大げさにいえば、セザンヌによって、絵は物の写しであることを止めた。あるいは、人々が絵は物の写しであるとして絵を見る、そのことをセザンヌの山は止めさせた。そっくりに描かれていないキャンバス上のセント・ヴィクトワール山に、私たちは、山の姿を見いだすことができる。私たちは、まさに、そこに山を見るのである。
私たちは、何を見ているのか。画家が描くのは、まさに見ることそのものである。否、<見えるもの>そのものだと言うべきだろうか。それは私たちの視覚が世界を顕わにする仕方であり、その文法なのである。

*1:原書には、セザンヌのセント・ヴィクトワール山の挿絵がある。