ミュンヘンのつづき

何か、書こうとするとするっと逃げてしまう映画で、全然うまく書けません。いろんな人が書かれてるので今更書くこともないかなと思ってスルーした食事のシーンですけど、確かにものすごく豪華で美しく描かれてはいるのですが、どうにも、私は気持ち悪かった。食事をするということが、ものすごくグロテスクに思えてきたのですよね、映画を観ている間に。いや、そんなん自明だろと言われたら返す言葉がないのですけど。


全編を通して恐ろしさもあったのだけれど、それよりも、何か温かさ、生ぬるさ、ぬくもりとは呼び切れない人工的な温度を感じました。それは、飛び散った血の生ぬるさであり、太陽に照らされて温まった石畳の温度であり、裸で抱き合う相手の体温であり、熱々ではない食事の、ちょっと冷めてしまったあのぬるさです。そう、熱々じゃない。どこか冷めてしまっている。ほっとする温かさのようでいて、その実、それはぞっとする冷たさと隣り合わせなのですよ。


食事のシーンの気持ち悪さ、グロテスクさは、たぶん、その過剰さなのかなと思います。かなりリアルに(見えるように)作られていた映画だったと思うのだけれど、食事のシーンだけが、過剰なのです。量も、色彩も。味わうということが抜け落ちてしまって、何か、詰め込んでいるだけのように思えてしまった。絵の具で塗られた料理のように見えてしまった。なぜ、あなたたちはそれを食べられるのか?


アヴナーの料理の仕方が、彼の殺人の仕方と重なって見えてきたのも理由かもしれません。その手はぎこちなく人を殺し、難なく料理をした。最後の、三人での食事のシーンは、彼の苛立ちが強く見えます。なぜ、人を殺すのはこう簡単ではないのか。なぜ、予測しない事態が起こるのか。材料はすべて出そろっているはずではなかったか。それが正確無比な料理のテクニックと合わさって、できあがった料理は、だから、料理であって、料理ではない。
あれは、何なのでしょう。彼らが食べていたのは。わからない。本当にわからない。なぜあの食事がちっとも美味しそうに見えなかったのか。