火星の人類学者


火星の人類学者―脳神経科医と7人の奇妙な患者 (ハヤカワ文庫NF)

火星の人類学者―脳神経科医と7人の奇妙な患者 (ハヤカワ文庫NF)


10年ほど前に耳にしていながら、今まで手に取る機会がなかった。脳神経科オリヴァー・サックスによる短編集。


やはり出色は表題の「火星の人類学者」ではないだろうか。
印象的なのは、自閉症のテンプル・グランディンが、神や宇宙を極めて具体的な何かとして捉えていることで、たとえば彼女にとって「天国の扉」とは屋上へ通じる扉であったりする。
あるいは、彼女は豚や牛といった家畜の気持ちはよく理解できる。しかし霊長類の気持ちはまったく理解できない。では彼女がどうやって人間社会に適応しているのかというと、膨大なデータベースを自分の中に作り上げ、それを参照することによってであるという。彼女はある行動に出会ったとき、類似の行動をデータベースの中から探し出し、どう対応すべきかを決定する。
従って、彼女は適切に行動することはできても、それを「感じ取る」ことはできない。表面を合わせているだけである。
また、彼女は無意識を持たないという。抑圧された記憶というものがないのらしい。彼女の記憶は極めてビジュアルで鮮明であり、細部までくまなく残っている。
だからこそ、なのだろうか。彼女の願いはひどく率直で、そこには自分が存在したことへの切実な欲求がありありと示されていた。

「図書館には不死が存在すると読んだことがあります……わたしが死んだらわたしの考えも消えてしまうと思いたくない……なにかを成し遂げたい……権力や大金には興味はありません。何かを残したいのです。貢献をしたい--自分の人生に意味があったと納得したい。いま、わたしは自分の存在の根本的なことをお話ししているのです」
(p.398)