オーダーメイド下着の論理か倫理


 いろいろ途中なんですが、思い出したので書いておきます。
 3ヶ月前に友人に誘われて無料で下着を作って貰えるという、「オーダーメイド下着屋」のキャンペーンに参加しました。もちろん「キャンペーン」なので、相手が下着を売り付けることを目的としていることは百も承知でしたが、「オーダーメイド」で、しかも「下着」というものをいったいどういうふうに売っているのかは非常に興味があったので行ってみることにしました。(もちろん「無料」に惹かれたということは否めません)


 商品を売る一連の流れは、商品の「質」を売りにしたものの典型で、たとえば「エステ」や「化粧品」のそれなんかが非常に近いように思いました。
すなわち、まずはもちろん「アンケート」を書きます。その後下着を試着、気に入った場合は下着をプレゼントしてくれて、本当に気に入ってくれて余裕があるなら他の下着も作りませんか、と誘われます。


一連の作業の間で彼らの言うことは一貫してて、

  • 女性はみんな魅力的になりたいと思っているものだ
  • 身体に合った下着をつけると女性としての魅力がアップする
  • しかし身体に合った下着はそこいらに売ってるやつでは手に入らない
  • 身体に合った下着はオーダーメイドじゃないと手に入らない
  • だからオーダーメイドで作るべきだ
  • オーダーメイドなので多少高いが、一生ものなので実際はそこいらに売ってるのを買うより安上がりになるから損はない

というような具合です。


 これらはまぁ、なんというか常套手段なのでどうもこうもないのですが、そこで「あ、周到だな」と思ったのは、買うための前提に、

  • 良いと思ったら買うと良い
  • 女性なら誰でも良いと思うはずだ

というふたつが追加されていることで、ここには「良くなかったら買わない」という選択肢を巧みに排除して成り立つ論理があるわけです。(「高いから買わない」はあり得る)


 あとはそういう論理だけだと「わたしは女捨ててます」という人には今いち弱いので、売り手は「プレゼント」という方法で心理的にバランスを崩すことによって、買い手に対しより買いやすい状況を意図的に作ってやるわけです。あとは買った人間が友達というつながりでもっていろいろな人間を店に連れて来るのを待つだけでいいので、なかなかいい商売です。


 で、来た客を逃さないために、他にもいろいろな方法が実践されていて、それが

  • 他の客とコミュニケートさせる
  • 客と友達になる
  • 「(良いからだをつくるために)がんばろう」と連呼する
  • 感動や努力という情緒に訴えかける言葉遣いをする

といったことなんですが、一番顕著なのは最後の例で、とにかく「素敵な女性」という理想に向かってまい進することが、その場では一番良いこととされているのです。


 「素敵な女性」なんていう理想像は個々人で違っていたはずなんですが、その場にいくとそれは「素敵な女性=良い下着をつけている女性/良い下着をつけて素敵になろうと努力している女性」という価値観のもとに一元化されます。いや、もっと巧みなのは、個々の価値観を否定するわけじゃなく、「でもこうしたらもっと素敵だよね」という「付加」としてそれらの価値を提出しているという点です。結果として、一度従うとそれはもはや「付加」などという甘いものじゃなく、多様性を放棄した一元化に他ならないのですが。


 もちろん、店員は決してそれを強制しません。あくまで買うかどうかは個人の意志にまかされている、ということを強調します。けれど、一度買うと、それは彼らの価値観に同意したとみなされ、とにかく「素敵な女性」を追求する集団に参加せざるを得なくなるわけです。


 で、結局プレゼントの下着だけもらって帰ってきたんですが、「うわーすごいサイズ減ってる」「こないだからふたつ(胸のサイズが)あがったよー」「○○ちゃんは頑張ってるからわたしも嬉しい」などの発言にうすら寒いものを感じたわたしは、人間性が薄れているんだろうかと思ってしまいました。