思い出と一緒に

父から貰ったメールに書いてあったひとこと。


"This memory is forever only in your mind, nothing for most."


このメールをもらった当時、就職活動がまったくうまくいかずに相当不貞腐れていた。自分のキャリアの先が見えず、自分の人生はすべて間違いだったと考えていた。そんなときに父は言った。私の心の中にだけあるものこそ大切にすべきだ。それは私にしか知り得ないことで、私にしか大切でないことかもしれない。でもそういうものを忘れてはいけないし、忘れられるものではない。


アイデンティティという言葉はもともと日本語にはないが、アイデンティティとは何かということに、父のこの言葉で気づいた。私は、他の誰かが辿った道を必死で辿りなおそうとしていた。その道を辿れないと嘆いた。私は道を踏み外したのだと絶望した。でも、誰かが歩いた道を歩くなら、それは私の道ではなく、その誰かの道だ。私は私の持っているもの、学んだものを使って、私にできるものを見出さなくてはならないのだ。それが結果として誰かと同じであったなら、それはそれでいいだろう。でも、それが目的になってしまっては、私は私であるという意味を失う。


私は私の道を歩くことにした。特別難しいことをするわけではない。ただ私に可能なことを見定め、私のなしうることをなす。分相応とも、努力とも、鍛錬とも言いうるかもしれないが、いずれも少しずつ違う。これは私にのみなしうることだ、と言うこともすこし気負いすぎの気がする。私はただ、誰かになろうとすることを止めたのだろうと思う。誰かに憧れ、誰かの価値をまとうことを止めたんだと。私は私を積み上げることにしたのだ。それが私というものであるし、私というものの生きる方法だと思う。