passion or impression

写真や音源を整理してしまうと、近くにあったはずの印象はどんどん遠くなっていき、やがて完全な過去になる。確実に感じていたはずのものが次々に消えていってしまうのは、なんともやりきれない思いがする。けれどその時間を越えると、やがてやりきれない気持さえ消えてしまって、ただどことも寄る辺ない思いだけが残るのみとなる。そのとき思い出は完全に過去になる。
忘れたくないから沢山の記録を残し沢山の思いを書き綴ってきたはずなのに、きっと忘れてしまったことのほうがずっと多いのだ。なんという徒労だろう。そして何年か後には、こうして書いたことを読みながら、こんなふうに考えていた私をまるで別人のように思うことだろう。彼女はどうしてこんなふうに考えなければならなかったのだろうと、哀れにさえ思うかもしれない。
いくら写真を撮っても、いくら映像に映しても、いくら音声を残しても、そこにあった印象は戻らない。私が感じたはずの何かは、いまこの瞬間も消え続けている。たとえ一週間もすれば消え去ってしまう印象なのだとしても、私はその印象の思い出を繰り返すことで、印象の再現の過程を残したい。本当の印象の時間はもう訪れないけれど、私がそのときに得たのと同じ心の動きをもつ印象を、そこへたどり着く道を、私はどうにかして残したい。
強く強く、考えることを忘れてしまってもなお、私の心が思い出すように。