雨が降っている。


朝から雨が降っている。けっこうな大雨だ。大雨なので、しばらくするとこんなふうに家が川に沈んだりする。でも雨が降っている間はすこしだけ暖かいから、私は嬉しい。それに、ゆっくりと考えたり、本を読んだりするのには、ちょうどいい。
ドイツの冬は暗く、陰鬱だと聞いた。それを恐れるあまり、私は日本へ逃亡したのだが、いざ冬を迎えてみると、面白いことになんだか気持ちが落ち着く。よく考えてみれば、北海道だって冬は暗いのである。ドイツへ来る直前は大阪にいたから、冬が暗いなんてことはそれほど意識しなかった。ああ、少し日が短くなったのだなと思う程度だ。だから、忘れていた。冬は暗いものだ。暗くて、寒い。
私の生まれた土地は、太平洋側の内陸で乾燥しており、雪は少ないが寒さが厳しい。マイナス10度は当たり前で、少し冷えるとなると平気でマイナス20度を下回る。日中も気温がプラスになることなどなく、0度ちょうどだと暖かく感じるくらいだ。朝は8時にようやく明るくなり、夕方は17時にはもう暗い。
そんな環境で外で過ごすのは過酷だから必然的に家の中で多く過ごすようになり、だから私はきっと、しばしば本を読むようになったのだ。とはいえ熱心な読書家ではなかった。家にある本はすべて読んだけれど、興味のない本には見向きもしなかった。まぁ元来、気分屋なのである。
というわけで他に何をしていたかというと、父の影響で、スキーへよく行っていた。とはいえ、好きだったのかと言われるとよくわからないところもある。私にとって、冬にスキーへ行くことは、自然なことだった。雪があり、ほかにすることもない。近所にスキー場があり、行けば友達にも会える。だからスキーをしていた。本当に好きだなと感じてきたのは、中学を卒業してから一人暮らしを始め、何年か経ってからだ。久々に帰省しスキーに行くか、となった。異論はなかった。しばらく滑っていなかったブランクがどうなのか気になったということもある。若干こわごわ滑り始めたような気もする。だが結果、想像以上に楽に滑ることができた。楽に、というのは、変な力を入れずに、怖がらずに、斜面を見ることができたという意味だ。それまで崖のようで恐ろしいばかりだったコースでも、自分がどのように攻略すればいいのか理解できるようになってからは、まったく怖くなくなった。
いわば、斜面の様子を観察して、シュプールを先取りするのだ。よく考えると、それまでの間も父に同じことを言われ続けてきた。斜面がこうなっているだろう、ここは大回りして、ここまでいって、ここからは小さく回って降りよう。そういう話は何度も聞いていたはずだった。でも、その年、ようやくそれが理解できた。自分自身の頭で、コース取りができるようになったのだ。それまでトレースや物まねでしかなかったものが、突然自由な創造に変化した。ほんとうに面白い経験だった。
それからは、どんな斜面でも怖いと思うことはなくなった。自分がどういう滑り方をし、どういう転び方をするかまで想像できるようになった。そしてたいていいつも無謀なコースを誤ってとり、一度行くと2,3回はこけて帰る。それでも楽しい。まだまだ滑り降りることのできるコースは限られており、予想も甘いけれど、自分のことを把握できるというのが、これほど自由さを生むのだとは、知らなかった。
自由は無制約のことではない。むしろ、制約の範囲を正確に知ることで、対象を操作可能なものに変えて行くことだ。ルールが明解であればあるほど、ゲームは自由度が増していく。そしてこのことを思い出したいま、私はこの制約の中から何ができるのか考えている。いまここにおり、いまここでできることとは何か、考えている。私の手は小さく限られているけれど、この手で出来ることがあるはずなのだ。そのことを見つけたいとおもう。