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動詞
(人・動物・事柄など)を [場所・由来・出所まで] 追跡(調査)する


好きな人のことをなんでも知りたいと思うだろうか。私は思う。今何をしているのか逐一知りたい。その人がなにを考えていて、なにを食べて、誰と話して、できればどんな話だったのか、ついでに今日の体温とか体調とか声の具合だとかも知りたい。いつもその人の様子が手に取るようにわかっていたい。けれど、あるときはたと気付いた。それって、めちゃくちゃ息苦しいじゃないか。その人も、私も。
誰かのことを知りたい、から、知らねばならない、になったときに、関係はとても息苦しいものになる。誰かを私に縛り付けるだけじゃない。私自身を、誰かに縛り付けておかなくては気が済まなくなってしまうからだ。毎日メールをチェックして、電話して、ブログを読んで、足跡を調べて、エントリを探して、いつもいつもどこかに痕跡を探し続ける。好きだから、そうしてしまう。でも、好きだから、そうしないほうがいいときもあると思うのだ。
相手をトレースし続ける。来る日も、来る日も、チェックし続ける。でも、できるからといって追い続けたら、そうやって相手と自分の関係をガチガチに固めてしまったら、いずれ身動きが取れなくなる。痕跡を残す誰かと、それをトレースし続ける私、という関係でしか、互いを規定できなくなって、トレースとその痕跡の循環に閉じ込められてしまう。
大切なのは存在しているものではない。可能なら、いつでも繋がることができるという確実性だ。確実性は、大好きな誰かの痕跡には宿らない。呼びかけに応答した、という事実の積み重ねだけに宿る。だから、好きな相手のことを知りたくて知りたくて、わからないときは不安で不安で仕方ないなら、一度は好きな相手を信頼し、自分との間にある繋がりの可能性を確認することだ。可能性が確立されていると信じられるなら、もう、トレースの必要はない。