ひとみなそれぞれに

日本にいる間のことだ。すこし年上の女性たちが一生懸命恋をしているのを聞いて、ずっと泣きそうだった。しばらく忘れていた気持ちのことを思い出して、自分の一番大切なひとのことを思い出した。いろいろな感情や情景が彼女たちの言葉から流れ込んできて、パンクしそうなほどだった。
それで今、ようやくわかった。私は絶縁状のようなメールを書いてしまったあの人に、そんなふうになってほしかったのだ。「どうせ私なんて」と言うその人に、負けたっていいし、かっこ悪くたっていいから、一生懸命恋してほしかった。自分の気持ちを押し殺して、騙しすかして、我慢して、クールな関係を装って、最後は簡単に諦めるんじゃなくて、ぶつかって、泣いて、凹んで、どうしようもなく辛くて、でもそれでも正面から好きだって言えるようになってほしかったんだと、思った。
私の知っているひとはみなそれぞれに大切なひとがいて、それぞれに思うひとがいる。もしかしたらその人に振り向いてもらえなかったり、一緒の時間を過ごせなかったりして、辛くてもういやだと思うこともあるのかもしれない。いっそきっぱり諦めてしまうことも選択なのかもしれない。
でも、きっぱり諦めることができるのは、それだけやりつくしたからだと、私は思う。だから、一度でいいから、大切なひとに、大切だと思っているひとに、振り向いてほしいひとに、正面から好きだと言ってあげてほしいのだ。たいていびっくりされるけど。そして相手は居心地悪くなると思うけど。でも、伝えようと思うなら、真正面から突っ込むしかない。
誰かに好きだと言ったあとは、いつもかっこ悪いなぁと思う。こんなふうにしか伝えられないなんて、能がないし、芸がない。でも、雰囲気だけで恋をするのはいやなのだ。だからそうやってかっこ悪いことを繰り返した。本気で恋するために、いつも正面から好きだと言った。それが私のやり方だったし、今でもそうだ。
私は、自分の好きだという言葉に自信を持っている。絶対に嘘じゃないという自信。いずれその気持ちが消えて、関係が終わってしまったとしても、思い出せば、その気持ちはやっぱり本当の気持ちとして甦る。だから、好きなら、手放したくないなら、どうしても欲しいものなら、そのことをまっすぐ伝えてほしいと思う。かっこ悪いけど、かっこ悪い自分をさらして、その自分を受け入れて、そして相手に預けて欲しいと思う。それだけやってだめだったら本当に辛いけど、でも諦めはつく。
だって、一番弱いところを見せるということなのだ。最強のカードを切るなんて言い方もするけど、私は信じない。それはカードが最強なんじゃなくて、もうこれ以上手がないんです、って言ってしまうことなのだ。もしそれを強さだと言うなら、弱さを強さだと勘違いしているルサンチマンと一緒だ。正直に言おう、好きだって言うことは、弱い部分をさらけ出すことなんだと。でも、結局恋に必要なのは、その馬鹿みたいな素直さと、イノシシみたいな前向きさと、玉砕する覚悟と裏表の潔さだ。これ以上ないんだっていう深度で相手と向き合うことだ。それは自分が本気で好きな相手への礼儀だし、本当に親しい関係は、その深度まで晒してもなお続くくらいでないと、成立しない。だから怯えて立ち止まるくらいなら、怖がるな、前へ進め、と思うのだ。恋に破れたからって死ぬわけじゃない。だから前へ進め、だ。