批評とつぶやきのあいだ

私は批評することができない。でも、つぶやくことはできる。
何を見ても何を読んでも、「面白かった」とか「つまらなかった」と言うことはできる。でも、それを的確に批評することはできない。そも、的確に批評するというのがどういうことなのか、わかっていない。
特に、漫画が苦手だ。私の漫画に対する態度は、ナウシカでストップしており、アレを漫画と呼ぶのかどうかはいろいろあるらしいが、とにかく私にとって漫画といえばナウシカなのである。そして、それは単におもしろいものであり、漫画という表現方法がどうとか、作者の特殊性がどうとか、これまでの作品群とどう違うとか、とにかくそういうことにまったく関心がない。
ちょっと言い過ぎました。
もう少し詳しく言えば、自分自身がこれまでの経験で知っている範囲以外から、わざわざ比較すべき対象をもってきて、自分の読んでいるものについて感想を述べるということに関心がない。これまで読んできたものとの比較はするし、その範囲でなら、批評めいたことも述べる。しかし、それについて正確さや詳細さを求めようとして、何らかの勉強をするということはない。
そういうわけなので、漫画を読むと、ナウシカとどう違うかということが評価の基本になってしまうのであり、その結果として、どれもそれなりに面白いし、どれもナウシカとは違うのでいいのではないでしょうかということになる。
思うに、批評をするということは、ある領域に詳しいということと関連する。ある領域が気になって仕方なく、それにまつわることをとにかくしてしまい、その結果かあるいは努力の成果か、その領域に関する膨大な知識を有することになる。そうして蓄積されたベースが次の対象について感想を述べるという行為を、批評するという行為に変える。しかし、その知識が膨大であるということは、それ自体既に質が異なっていると言えるので、批評するということは、感想を述べるということから区別されている。
私が感想しか述べられず、批評することについてはばかられるのは、そういう膨大な量の情報を他者と共有しようとする意志に欠けているからなのだと思う。だって、人類全体の知の総体とか、ほんとどうでもいいもの。