八百屋、豆腐屋、魚屋

一週間に一度くらいの割合で、近所の八百屋に買い物に行く。近所の八百屋。私はこのフレーズに対してものすごいあこがれがあった。このあこがれについて説明するには、私の生まれ育った土地について説明するところから始めなくてはならない。私が生まれたのは北海道の山奥、というか山で、もちろん道路は舗装されておらず、街灯などなく、隣の家まで二キロある、そんな場所だ。人間より動物に会う機会の方が多い。で、当然近所に店などない。店があったとしても十キロ先なのだから、気軽に歩いて行けるわけがない。幼い私は思った。歩いて買い物に行きたい。さざえさんのように、あるいはちびまるこちゃんのように、徒歩で買い物ができるところに住みたい。そして「近所の八百屋で買いました」と言ってみたいと思った。その夢が、ここに来てようやく叶った。こんなところで二十年来の夢が叶ってしまうとは思わなかった。
そんなわけで、ここ一年くらいはずっと歩いて八百屋へ行っている。だが、自分が歩いて行かなくても、向こうからやってきてくれる店というものがある。それが豆腐屋であり、魚屋だ。彼らは軽トラックやバンの荷台を改造し、豆腐や魚を載せてやってくる。曜日と時間は決まっていて、豆腐屋の方は鐘を鳴らしながら自らの来たことをアピールする。このシステムを知ったときは本当におどろいた。向こうから売りに来てくれるなんて、北海道にいたらありえない。なぜなら、どこに民家があるかまったく分からないし、売り歩くためにかかる燃料代が商品に上乗せされざるをえないから、結局高くついてしまって売れるわけがない。不可能なのだ。
しかし今では私は豆腐屋のカランカランという鐘を聞くと、ああ、もう六時なのだなと思う。そして、いったい自分が二十年後にこんな生活をしていることになろうと、想像できただろうか(いやない)と感慨深く思うのだ。そうだ、私は二十年の間に、北海道から大阪に来てしまった。二十年あるといろんなことがあるものだ。あと二十年したら、私はどこにいるのだろうか。しかしきっとどこにいても、私は当たり前の顔をして暮らしているのだろうと、わが事ながら安心して思うのである。

ぶん・私、え・身近な人