世迷い言:存在の向こうがわへ

存在、の不思議さには二つあって、一つは、もの、が物理的に存在するということの、不思議さ。もの、は電気の力でくっついている粒子たちのかたまりなのであって、もし電気の力がなくなったら、ぺっしゃんこになってしまう。もう一つは、それを認識する私の不思議さ。形をそこに描き出すということ、あるいは存在をそこに描き出すということ、を私たちは何気なく行い続けていて、何気なく行えるので不思議でもなんでもないんだけど、ふと、あるとき立ち止まってしまうと、そこから先に進むことができなくなる。知覚すること、思考すること、この不思議さが、ココロを捉えてしまうのだ。
でも、本当にぞくぞくするような不思議さは、そのどちらでもなく、どちらでもある。ばらばらの粒子になってしまうようなものがなぜか、どういうわけだかここに、私と一緒に存在していて、この奇妙すぎる一瞬を私がここで経験しているということ、が、最近、本当に不思議だ。


というようなことをつらつら書き留めようとしているのは、勉強、してしまうと忘れてしまうような、プリミティブなアイデアがあるような気がしているからで、それは、勉強、すると「なぁんだ」ってなってしまって、結局すごいアイデアでもなんでもないことが分かるのかもしれないけれど、というか大抵そうなんだけど、だからといってそれを失ってしまっては、私は私であることを止めてしまうような気がするから、である。なんだかひどくみっともないようで、わざわざ恥をさらしているのだけれども、それでもここになにかを付け加えていくというのは、何だか離れがたい。
そういうわけで、本のブログに戻るのもなかなか難しいので、しばらくはまた、アイデア帳です。あしからず。