同い年

自分と同じ年齢の人が書くものをみて、しばしば愕然としたり、呆然としたりする。あまりに違うから。私に見えないものを見、私には聞こえないものを聞き、そうしてできあがった誰かは、あまりに私とは違うので、私は、彼らと同い年のカテゴリーに入ってしまうことに、酷く恐れを抱くのだ。
けれどそうして気づくのは、私は彼らではないし彼らも私ではないという単純な事実、なのであって、その事実は慰めでもごまかしでもなく、ただ、そうであるということにすぎない。
その事実を前にして、私はぼうっとしたり、ひどく心許なくなって、人に触れようとするのだが、触れあうということが、皮膚と皮膚ではなく、何処かしらココロとココロであるような気がするのは、私が彼らではなく、彼らも私ではないのに、どこかの地点で、交錯しているように錯覚しているからであり、それは幾本もの糸が、すれ違いながらも不意に接触するような、そういうものを求めていて、しかも、それがただ皮膚と皮膚で触れあっているというだけのことであってほしくないという、わがままであるのかもしれない。
言葉以前に、私はあった。けれど、いつのまにか「私」の元にすべてを集めるようになってしまった。もはやそこから逃れることはできそうもない。だとすれば、私はこれを抱えて、どこへいこう。