世界一よくわからない同じの説明

もうここ最近ずっと同じってことについて考えてる。同じってなんなのか。一体何が同じなのか。何と何が同じなのか。何のどこが同じなのか。どんな何が同じなのか。さあ大変。大変なのは人によって言ってることが違う。そんなことは哲学ではしごく当たり前で、というか日常でも同じ事言ってる人ってあんまりいないかって話ですけど*1、とにかく違いすぎ。
悩ましい。同じって話は以前にも少ししたことがあって、結局よくわからんまま放置してたのですが、今考えてもよくわからん。とりあえず、対象同士の同一性と名前同士の同一性が別れているのらしいことはわかった。けどそうなると名前と対象の間がどうなってんのか気になるって話ですよ。ラッセルは記述を介するって思ってたみたいだけど、クリプキはどうも直に繋がってるって考えてるらしいんすよ。けど直ってなんだよ!ちょく!繋がってるってことか。けどどうやって?どんなもので?のり?人間の皮膚って直だよね。直。剥がすとなんだか生きてられない。名前ってのは対象にそうやって張り付いてんのか?直に?剥がせないの?それとも入れ墨なの?それとも風船のゴムなの?風船ってゴムが破裂すると風船じゃなくなるけど、あれが名前なの?
あと、同一性っていうのは関係なので二つのものの間に成り立つはずなのだけれど、よく考えると同じものって一つしかない。一つしかないから同「一」っていうんだけど、それじゃあひとつのものの中で成り立ってる関係ってどういうことなのかって思う。それは関係なの?どうもクリプキによれば内的関係なのらしい。内的って何!クリプキは同一性も関係である以上二つの事柄の間に成り立つって言ってて、それは最小の反射的関係であるって言ってる。反射!反射って何!当たって戻ってくるのが反射。当たらなくても戻ってくるのが反射。ぐるん。というわけで、たぶん同一性というのは出発した矢印がどこにも辿り着かず自分に突き刺さってる。ぐさっ。いたいた。
あーだから、x=xって同一性(対象間の)をうまく言っているようでうまく言えてないんだと思うんですよ。x=yと同じことをx=xって言ってるように見える。関係として表現するからそうなってる。そもそも同一性がそれ自身との関係なんだとしたら、ただxとしか表現できないはずなんだ。
そもそも違うものが同じっていうのがよくわからん。けど、我々ふつーにこれとこれは同じ、と言います。君の持ってるエンピツと、私の持ってるエンピツ、同じだねーとか。あと、如月ハニーキューティーハニーは同一人物なんだよねーとか*2アメリカの初代郵政長官は二重焦点眼鏡の発明者なんだよねーとか。ヘスペラスはフォスフォラスなんだよねーとか*3
やっぱ日常的には二つのものがあるときにしか、同じっていうことは言わない気がするな。私、実は私と同一なんですよ!とか言ってもはぁ?おまえだれだよグランド十周ええー。


いまものすごくどうでもいいことを思い出した。小学一年くらいのとき、「十本」をなんて読むかが話題になった。授業では「じゅっぽん」が正解だったが、誰かが「うちのじーちゃんはじっぽんて言ってました」って言ったせいで収集がつかなくなった。結局先生はその由来を調べて学級通信に載せたのであるが、親は面白がって読んでしきりに私に感想を聞いてくる。小学一年にとっちゃ、別にじゅっぽんがじっぽんであったところでどうでもいい。どうでも良いが、親はなんやら興味深そうにしている(ここ重要)ので、私は「おもしろいねぇ」と言ったような気がする。概して問題って、大人が作ってるだけのことかもしれない。そんでそれが問題だと思った子供が大人になってまた問題にしてるだけなんじゃないか。大人の不思議に不思議がれなかった悔しい気分だけが思い出されました。あーどうでもいい。

*1:同じ事言ってる人ってのは大抵どっかからの聞きかじりで話してる場合が多いです、経験的に。

*2:このためにウィキひいた。

*3:言ってる人をみてみたいです。