強くあるということ

asukakyoko2006-10-19

相撲を見なくなって久しいが、最近相撲は面白いのだときく。そこで、もっと相撲が面白くなるよう、新しい決まり手を考えた。


新しい決まり手は「弱い声」。
力士たるもの、どんな弱さにも負けてはいけない。冬の寒空の下で皮膚から湯気をあげながら稽古をし、夏の暑さの中でも噴出す汗と汗をぶつけあいながら乱捕りをする。そんな彼らからは、力強い(けれどややかすれた)声が聞こえてくるものである。
ところで、彼らはうっかり「きゃっ」とか言ってしまうことって、ないのだろうか。もしあるのだとしたら、それは力士として由々しき事態だ。なぜなら、力士はどんな弱さにも負けてはいけないのである。「きゃ」なんて弱い声を出すなんてもってのほかである。いや、なにも「きゃ」である必要はない。「あっ」とか「やん」とかそういうのでかまわない。たとえば不意におしりを鷲掴みにされたとき。たとえば脇の下をくすぐられるとき。そんなとき彼らはそういう声を出してしまわないのか。出してるのだとしたら力士としてやばいのではないか。
そういうわけで、それを決まり手として導入することで、力士の気持ちを引き締めようというのが、この「弱い声」のそもそもの狙いである。しかし、それは力の強弱しかなかった力士の世界に、新たなフェーズをもたらすようにも思われるのである。


まず見ているほうが面白い。とにかく声という部分にも注目しなくてはならないので、力士の髷のすみっこには小型マイクがとりつけられ、行司はイヤホンをつける。そして場内に大音量で流される。こうして、「あっ」とか「おう」とか「ひゃ」とかそういうこっそりした声がお茶の間にまで届けられることになる。
ものいいがついたりすると大変である。恥ずかしい声とその場面が何度も再生され流され、解説の人に「あ、これはいけませんね〜」などと言われてしまう。だいたい相撲はただでさえ半裸の状態で格闘している不可思議な競技なので、ここでもうひとつ恥ずかしい要素が加わったって誰も気にしない。小学生などは「昨日の○○の声すごかったなー!」とか大興奮である。
力士の方も、油断していて弱い声が出ないように気を張るようになるだろうから、そうそう決まり手として決まらなくなるだろう。「弱い声」を決めるには偶然に頼るか、人間の精神の弱点を研究するかしかなくなってくるかもしれない。その意味では、この技は頭脳派力士向けであるともいえる。


そうして長年、決して弱い声を出さなかった牽強な力士が、勢いの良い若手力士の不意打ちにこらえきれず「弱い声」を決められる。恥辱と無念の思いの中で体力の限界を悟った力士は、その日のうちに引退会見をする。
あるいは、絶妙のタイミングで「弱い声」を決めることで小柄ながら実力者として認められるものは、往年の寺尾のように「テクニシャン」と呼ばれ、楽日には技能賞をもらう…。


あーそんなことになったらいいな。