さくら、さくら


太陽の下で見る桜がすきだ。ソメイヨシノの、消え入りそうな薄紅色とか、黄緑色のがくとか、どっしりした濃い茶の幹とか。ときどき、花びらの間にまざる鮮やかな紅がことのほか美しい。かすかに(気のせいかと思えるくらい)香る甘いにおいを漂わせながら、春の強い風でざわざわゆれるぼんぼりみたいな桜の花。私はここに来て、初めて桜が美しいと思った。


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その人は、夜の桜が好きだという。
たしかに、夜の桜も、美しい。照明のひき起こす強いコントラストは妖しく艶やかだし、月明かりの下で、ほとんど真っ白な桜がぼうっと浮かび上がる様は、あまりに出来すぎていて不気味ですらある。
私は、それが苦手だ。
女に似ている。完璧な女に。ついた手のひらがすっと向こう側に抜けるように、つかみどころがない。それは、「桜」なのだ。そのことを、私はすぐに忘れてしまう。だからよけいに、それを疎む。
闇の中では、逃れようがない。視界が埋め尽くされてしまって、他には何も見えない。ただ、ただ、両目いっぱいの桜を見つめるほかない。舞台は、そのために用意されていて、舞台がはければ、「桜」もどこかへいってしまう。その人は、そんな桜を好きだと言うのだろうか。それとも、そんな桜だから好きだとでも。
人通りの少ない路傍の桜を、街灯の明かりで眺めながら、ふと、そんなことを、考える、ぼんやりと。