ひとりタルコフスキー祭
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いまさらだが、私はアンドレイ・タルコフスキーの映画を『ストーカー』『サクリファイス』しか観たことがないという強者である。前の学校にいたとき、近所のレンタル屋に行って、「タルコフスキーの『惑星ソラリス』ありませんか」と聞いて「は?」と言われた経験も持っている。そういうわけで常識的な場所ではレンタルできない映画なのだなと思い知ってはや数年。今回教授の本棚に大量に並べられた映画DVDの中にタルコフスキー群を発見し、狂喜乱舞しながら借りてきたという次第です。前の学校の担任に「初期作品もなかなかいいよーうひょひょ(口癖)」と言われてたので初期作品をまとめて。
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前者『僕の村は戦場だった』は『イワン』という原作があるので、タルコフスキーの映画にしては珍しく(?)ストーリーが追いやすかった。
いくつかの映画評ではイワン少年を演じるニコライ・ブルリャーエフの演技がわざとらしくて鼻につく、と言われていたけれど、実際はそれほどでもなかった。むしろ私にはブルリャーエフの演技が、イワン少年が物語の中で必然的に「演技」しなくてはならなかったこととうまく重なり合っているように思え、そこにタルコフスキーの巧みさを見いだせすらした。
要するにイワン少年は、大人と同じ任務を果たすために、大人として「振る舞わなくては」ならなかった。それは「少年」にとって「演技」であるはずなのだ。たとえ本人がそれと気づかなくても。
後者の『アンドレイ・ルブリョフ』は、実在の画家をモチーフにしている。
タルコフスキー映画によくでてくるアナトリー・ソロニーツィン(『ストーカー』の「作家」役とか)がアンドレイ・ルブリョフを演じているのだが、この人が、素晴らしい。彼は役者というよりも映像の一部で、完全に映像と物語の流れの中に取り込まれていた。この役者と比べると、確かにブルリャーエフはわざとらしい。
というのも、この映画にもブルリャーエフが出演しているのだが、彼はひどくわかりやすい演技をする。哀しい、嬉しい、疲れている、不安だ。こういう感情が、わたしたちに分かってしまう。伝わってしまう。そのせいで、混沌とした映画全体から彼だけが浮き立ってしまう。もっと言うと、それはタルコフスキーの映画ではなく、ブルリャーエフの映画になってしまう。タルコフスキーは何かのインタビューで、このブルリャーエフをどう抑え込むかに苦労しているという話をしていたが、確かに大変だったろうと思った。なまじ、彼が整った顔立ちであるゆえに、なおさら。
タルコフスキーはわかりやすさをなるべく排除しようとする。それは、実際の人間のあり方がそれほどわかりやすくできていないからであり、また混沌としたところに映像の美しさを見いだそうとしているからでもある。したがって、彼の作品を「わからない」と評価することは正当でもあるが、まったく当たっていないとも言える。そもそも彼は分かってもらえる何かを作ろうとしていない。
両作品ともタルコフスキーの初期監督作品だが、後期へと繋がっていく要素が様々に見られて面白かった。たとえば、いつもどろんこになってしまう登場人物たちとか。ノーカットのながいシーンとか。同時に、この時期はけっこう「フツー」の映画を撮っていたんだな、と思ったのも事実。後期タルコフスキーに馴染んでいるひとには、つまらないと思えるのかもしれない。
その他の作品のあらすじなど
http://www.imageforum.co.jp/tarkovsky/
http://www.acs.ucalgary.ca/~tstronds/nostalghia.com/