同じってこと、+α

そもそもなんで「同じもの」のことをメモしたのかと言うと、世の中は「同じじゃないものばかり」だと思ったからだ。
「同じ」ってことは、ふたつ以上のものがあって成り立つのに、実際は、「あれとこれが同じ」ってことが成り立たないなんて、なんだかおかしな話しだし、実際は「同じじゃない」のに「同じ」だとしていることって結構あるなぁ、とも思った。
たとえば、じゃあ「怒り」に設定してみる。(ところでわたしはあまり怒りを感じないので、この例はなかなか難しい)

厳密さの度合いにもよるのだけど、たとえば、この怒りと、3ヶ月前の怒りは、違うけど同じだ。
「この間感じられた怒り」と「今感じられた怒り」は当然別のものなのだけど、でも「怒り」なのだ。「怒り」という箱にまとめられる。

違うとすれば、たとえば「何に対する」怒りかということで区別したりするだけで、怒りそのものが違うという風には考えない。怒りに種類があったとしても、それは「怒り」というより大きな箱にまとめられる。
これが、たぶん「用法の全体を実体だと考える」ってことで、この場合、「怒り」という箱の中には様々なもの、ばらばらの感情が詰められているにもかかわらず、それらがひとつひとつ「怒り」のもつ性質である(「xは怒りである」を満たすもの)とされ、「怒り」というひとつのものにまとまる。性質のひとつひとつは違う。でも、「怒り」というひとつのものとして考えられる。

ところで、あるものとあるものが同じってことは、あるものとあるものはひとつだ(ひとつにできる)、ってことになるだろうか。
現実にはそうっぽいけど、ぷにつ氏の話を聞いていると、まったく同じ性質をもった何かをふたつ用意できる、ということもありそう。